「摩擦」を加えるとどうなるか

 その後、食べる習慣に摩擦を生む小さな修正を加えた。ポップコーンの袋に紙製の持ち手をつけたのだ。そして、参加者の半数には、利き手(たいていは右手)で持ち手を握って反対の手を使って食べるようにと指示した。機会があればあなたも試してみるといい。ふだんナイフとフォークを使って食べている人が、箸を初めて使うときのような感じがする。

 残りの半数の参加者は逆で、利き手でないほうの手で袋を支え、利き手を使って食べた。つまり、いつも手でものを食べるときと基本的には同じだったということだ。

 利き手でない手を使って食べた人にとっては、いつもと同じ食事ではなくなった。ポップコーンを意識してつまみあげ、慎重に口に運ばねばならなくなったのだ。この摩擦の増加により、映画館でポップコーンを食べる習慣がしっかりと定着していた学生でも、古くなったポップコーンは30パーセント、つくりたてのポップコーンは40パーセントしか食べなかった。

 いつもの状態で食べたときと比べると、かなり減っている。習慣になっている動作がほんのわずかに妨害されるだけで、自分のすることについて考えざるをえなくなったのだ。そのとたん、彼らは過去に培ったポップコーンを食べる習慣に従った行動はとれなくなり、その場で現実に体験していることにもとづいて行動した。

 つまり、古くなったポップコーンはまずいから食べなかったのだ。

 大手メディアはこの種の研究成果を喜んで報じるので、私たちの研究はつかの間の名声を得た。ただし、彼らは結果を誤って解釈した。健康関連の雑誌は、ポップコーンの袋に持ち手をつけた実験から、利き手でないほうの手でものを食べるようにすれば、ダイエットに効果があるとの結論を導き出した。利き手でない手を使うことを、食べる量を減らす手段になると彼らはとらえたのだ。

 メディアの取材を受けた私は、その方法は裏目に出る恐れがあると指摘した。というのは、利き手でない手を使って食べると、食べているものの味に注意が向くと思われるからだ。実験で利き手でないほうの手を使って食べた参加者たちは、つくりたてのポップコーンすらあまり美味しいとは感じず、古くなったものに至っては嫌でたまらなかった。

 それを思うと、ポッコーンがつくりたてであっても、食べているものに注意を向ければ食べる量が減る、というのはたしかに納得がいく。だが、それが大好物だとしたらどうか。その場の体験に注意を向けているときに大好物を食べれば、いつも以上にたくさん食べてもおかしくない。利き手でない手を使って食べることは、ダイエットに適したテクニックではない。ただ単に自動的に食べる習慣を妨害し、食べ物への意識を高めるだけのことだ。

【本記事は『やり抜く自分に変わる超習慣力 悪習を断ち切り、良い習慣を身につける科学的メソッド』(ウェンディ・ウッド著、花塚恵訳)を抜粋、編集して掲載しています】