「30人の幼児と自分の娘、どちらを助ける?」
ソクラテス、プラトン、ベンサム、キルケゴール、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは?
いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校を舞台にした小説、『正義の教室 善く生きるための哲学入門』が刊行された。「平等」「自由」、そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生のかけ合いから、「正義」の正体があぶり出される。作家、佐藤優氏も「抜群に面白い。サンデル教授の正義論よりもずっとためになる」とコメントを寄せている。ネット上でも騒然となった「ラストシーン」、その意図を著者の飲茶氏に伺った(構成/前田浩弥)

ネット炎上、監視社会、殺伐とした世界でどう生きればいいのか?Photo: Adobe Stock

殺伐とした世界で、私たちはどう生きればいいのか?

――『正義の教室』の執筆には、どれくらいのお時間が掛かったのですか?

飲茶:編集担当の中村さんから初めてコンタクトをいただいたのが2016年の12月。第一稿を書き上げたのが2018年12月ですから、約2年ですね。中村さんをかなりお待たせしてしまいました。

――原稿は1章ごとに渡していたんですか? それとも、最後まで書き上げてから、ドンと渡しました?

飲茶:「最後まで書き上げてから、ドン」です(苦笑)。半年に1回くらい「どうですか?」と催促をいただいても、「今やってます」みたいな返事をするだけで、泳がせていただいて。

――「最後まで書き上げてから、ドン」で来た原稿を読んで、編集担当の中村さんはどうお感じになりました?

中村:文章がとても読みやすく、流れるようにスーッと読み進められるなというのが最初の感想ですね。加えて、「3つの正義」のそれぞれの主張と、その主張への問題提起がとてもクリアで、わかりやすいなという印象を持ちました。ただ……「ラスト、どうしようかなぁ」という悩みも同時に湧いてきました。

「衝撃のラスト」に込められた2つの意図

――『正義の教室』のラストはかなり衝撃で、ネット上でも話題になりましたね。飲茶先生は、あのラストにどのような思いを込めたのですか?

飲茶:読者に「気づいてほしい」という思いを込めました。

――「気づいてほしい」ですか?

飲茶:はい。具体的には、2つの問いかけを込めています。あのラストをどのように感じるかで、実はその人自身の「正義観」がわかるようになっているんですよ。つまりひとつめの問いかけは、「あなたは何を正義だと思いますか?」という問いかけです。その上で、ふたつめの問いかけを自分自身にしてほしいんです。「その選択で本当に合っていますか?」と。ちなみに編集担当の中村さんは、ラストシーンで「これが正義だったのか!」という感じの受け取り方をしたんですよね。

中村:そうですね。『正義の教室』「ネット炎上」「監視社会」の問題点についても取り上げています。ラストでは、「そんな世界で私たちはどう生きるか?」という問いに対する、1つの答えが示されていて、とても興味深かったです。

飲茶:周りの人に何と言われようと、自分が信じた、自分が美しいと思う生き方を選択する。それこそが正義だ――これが中村さんの感じた正義です。「あなたは何を正義だと思いますか?」というひとつめの問いかけに対する、明快な答えです。

――なるほど。

飲茶:しかしその正義は、結果として不幸を招くかも知れない。自分の信じる正義を本当に貫き通したら、社会生活を穏やかに営むことができなくなるかもしれないわけです。そこで「その選択で本当に合っていますか?」という、ふたつめの問いかけが生まれます。つまり『正義の教室』のラストシーンは、中村さんの正義を明らかにすると同時に、中村さんの正義の危うさも浮き彫りにしてしまうんですね。

あなたの「正義」は本当に正しいですか?

――他にはどんな反響がありましたか?

飲茶:一方、違う編集者さんとお酒を飲んだときに、「あの……『正義の教室』のラストなんですけど……」って切り出されたんです。彼は「やっぱり、正義を追求するのは間違いですよね」と言っていました。あのまま、主人公が「正しい」と思う道を進んでも、誰も幸せにならない。何が何でも自分を貫くのではなく、ほかの人との関係性も考えて、穏やかに社会生活を営む。それが彼の「正義観」なんですね。でもその考え方は、これまでの社会の常識や、社会が押しつけてきた構造にとらわれすぎているのかもしれない。そこでやはり、ふたつめのが生まれるんです。「その選択で本当に合っていますか?」と。

――私はどちらかというと、後者のとらえ方をしました。率直に言って、モヤモヤしたんです。これはやはり、私が今までの価値観に縛られていたために感じる思いなのかもしれませんね。主人公の正義(まさよし)君も、ラストシーンでは「これでいいのか?」と自問自答しながら、一歩を踏み出しているんですよね。正義(まさよし)君自身も、「これが正義だ」と信じきれていない気もします。

飲茶:そこが面白いところですよね。前田さん(聞き手)は最後、「モヤモヤした」とおっしゃったじゃないですか。中村さんは逆に、「これが正義だったのか!」と感じている。

中村:正義はとらえどころのないものですけど、「善く生きる」というところがひとつの答えなんだと、僕はラストシーンから受け取りました。『正義の教室』のサブタイトルの「善く生きるための哲学入門」というフレーズも、ラストシーンで受けた感銘からきています。装画も「ラストシーンの正義(まさよし)君」を描いてもらったものなんです。

――そうだったんですね!

飲茶:AmazonのレビューやTwitterの反応を見ていると、みなさん思い思いに「あなたは何を正義だと思いますか?」「その選択で本当に合っていますか?」という2つの問いと向き合ってくれているようで、著者としてはホッとしました。