キリスト教会の最高会議「公会議」とは?
コンスタンティヌス1世はローマ帝国を再統一すると、帝国内のキリスト教会から代表者を召集して大規模な会議を開催しました。
後に公会議と呼ばれる、キリスト教会の最高会議です。
その第1回が325年に、アナトリア半島の西北の地ニカイア(現在のトルコのイズニク)で開かれました。
公会議はキリスト教に関係する諸問題を討議するために発足しましたが、下の「公会議の開催記録」に示すように、開催目的の大半は教義を巡る論争でした。
初期のキリスト教界を分ける論争の原因となったのは、「三位一体説(さんみいったいせつ)」と呼ばれる宗教理論でした。これについては次回、詳しく紹介しましょう。
『哲学と宗教全史』では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を、出没年付きカラー人物相関図・系図で紹介しました。
僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。
(本原稿は、13万部突破のロングセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)