国鉄は戦後、国策として南満州鉄道や朝鮮鉄道の職員や引き揚げ兵を大量に受け入れたことで、40万人以上の職員を抱えることになった。またこの結果、職員の年齢構成が偏ることになり、彼らの職歴が長くなるにつれて年功序列の賃金が急激に膨らんだ。さらに経営状態と無関係でベースアップが行われたことで、1981年度には事業収入約3兆円に対し、人件費が約2.5兆円という異常な状態に陥っていた。

 その後、国鉄経営再建の中で、新規採用の停止や合理化、また戦後に大量採用された世代の定年退職により1985年度には約29万人まで減少した。しかし民営化にあたっての適正な要員数は約18.3万人とされ、10万人もの合理化を行わなければならなかった。これを推し進めたのが国鉄で労務畑を歩んできた葛西氏である。

巨額赤字の最大の原因は
資金調達スキームの失敗

 葛西氏が「国鉄発足から終焉までの約40年間、経営の最大の課題は労組対策であり続けたと言ってよい」と述べるように、国鉄と労組対策は切っても切り離すことができない問題であり、民営化をめぐって対立が先鋭化するのは必然だった。

 しかし「戦後政治の総決算」の名の下、労組を弱体化させるために民営化を断行したのではなく、(冷戦構造の変化、労組間の対立激化、ストライキやヤミ手当、職場荒廃などへの批判などで)労組が弱体化したことと、大量採用世代が続々と定年を迎え始めたことでようやく抜本的な合理化に着手できたという方が、因果関係としては正しいだろう。

 ただ、労使関係は国鉄破綻の大きな要因であるとしても、それだけでは末期に年間1兆円以上の赤字を垂れ流し、計25兆円(実質37兆円)もの借金を積み重ねる事態にはならない。国鉄破綻の要因としては、自動車や航空機の発展による鉄道の地位の低下、政治に押し付けられた赤字ローカル線、物価抑制の名のもとに先送りされた運賃改定など、さまざまな説が挙げられる。

 例えば赤字ローカル線問題を見てみると、1979年度の国鉄の収入は約2.9兆円だが、このうち幹線が約2.7兆円に対して、地方交通線(ローカル線)は約1700億円と全体の6%にすぎなかった。

 ところが赤字約8000億円のうち、地方交通線によるものは3割近くにあたる約2300億円であった。赤字ローカル線の存在が収支を悪化させていたのは疑いようのない事実である。同じように、それぞれが経営悪化の原因なのは確かだが、やはりそれだけで天文学的な赤字を生み出すことはできない。根本的な問題は積み上がった借金そのものにあった。

 東京大学大学院経済学研究科の高橋伸夫教授は2000年に有斐閣から発行された『鉄道経営と資金調達』の中で、国鉄の直接の破綻原因は「1965年度から着手した第三次長期計画の資金調達スキームの失敗」にあると指摘する。分かりやすく言うと「改良工事や設備更新に必要な資金を高利の債券で調達したために、雪だるま式に負債が膨らみ、たった数年であっけなく経営が破綻してしまった」ということだ。