5月25日、JR東海の葛西敬之名誉会長が81歳で逝去した。「国鉄改革三人組」の一人であった葛西氏は、国鉄分割民営化において何を考え、何を行ったのか。6月13日に公開した記事に引き続き、葛西氏の著書『国鉄改革の真実―「宮廷革命」と「啓蒙運動」』を参照しつつ振り返ってみたい(特に記載のない場合は本書からの引用とする)。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也)
国鉄の分割についての
三つの疑問
国鉄の分割については三つの疑問が生じる。なぜ自民党も運輸省も国鉄当局も現実的ではないと考えた分割案が浮上したのか。そして当初から赤字経営が予想されていた北海道、四国、九州がなぜ単独で分割されたのか。一方の本州はなぜ東日本、西日本、東海の3分割になったのかということだ。
そもそも国鉄を分割するという方針はいつからあったのか。
政治の表舞台に登場したのは、1981年3月に発足した第二次臨時行政調査会が翌年7月に発表した「行政改革に関する第三次答申」が最初だ。答申は効率的経営を行うためには国鉄は巨大過ぎ、「地域ごとの交通需要、賃金水準、経済の実態から遊離し、全国画一的な運営に陥」っているとして、各社の経営努力と創意工夫を促すために分割が必要とした。その上で「分割は、地域分割を基本」に7ブロック程度に分割するのが適当であり、新設する国鉄再建監理委員会が諸条件を勘案して決定するものとした。
では、分割というアイデアはどこから出てきたのか。