なぜ仏像がつくられたのか?

 アレクサンドロス大王の東方進出の結果、アフガニスタンの北部を拠点とするギリシャ人の王国が生まれました。

 バクトリア王国です(BC250頃-BC145頃)。

 やがてこの王国から東方に向かい、インドに侵入したギリシャ人たちが、『ミリンダ王の問い』で有名なインド・グリーク朝を建国しました。

 ガンダーラ地方でもギリシャ彫刻を制作し、やがて後からやってきたクシャーナ朝の仏教徒たちが、それを手本にブッダの石像を彫ったのが、仏像の始まりだとこれまでは考えられてきたのです。

 しかし近年、それとは異なる有力説が出てきました。

 クシャーナ朝が支配していたガンジス川中流域の中心都市マトゥラでも仏像がつくられていたのです。

 このあたりにはギリシャ人の足跡は見出せません。

 マトゥラの仏にはヒンドゥー教の影響が強いのではないか、という学説が生まれました。

 学術的な研究の結果、仏像の制作はマトゥラでヒンドゥー教の偶像に影響されて始まったほうが早いのではないかという考え方が、有力になっています。

『哲学と宗教全史』では、哲学者、宗教家が熱く生きた3000年を、出没年付きカラー人物相関図・系図で紹介しました。

 僕は系図が大好きなので、「対立」「友人」などの人間関係マップも盛り込んでみたのでぜひご覧いただけたらと思います。

(本原稿は、13万部突破のロングセラー、出口治明著『哲学と宗教全史』からの抜粋です)