もちろん、事業ユニットごとに別会社をつくれば、いざというときに切り売りして選択と集中がしやすくなるということもあるだろう。しかしそれ以上に、パナソニックやソニーが期せずして事業会社を独立させたのは、各事業がそれぞれ真剣に不確実な世の中をサーバイブするための経営を、ミドルマネジメントに期待しているということの表れではないだろうか。切り売りしやすい組織形態であるということは、各事業会社のトップにとっては、切り売りされない経営とその結果が求められるからである。

ソニーはもともと何をするか
わからない会社だった

 ソニーも本社をソニーグループに社名変更して、その下に各事業会社がぶら下がる形態となった。これまで本業と言われてきたエレクトロニクスもその1つになり、音楽、映画、ゲーム、金融と様々な事業と横並びになる。それを「僕らのソニーは終わった」と嘆く人もいる。センチメンタルにいえば、自分もエレキのソニーに憧れて入社した1人なので、その気持ちはわからなくもない。

 しかし、そもそもソニーが東京通信工業株式会社という電子技術の会社から、ソニー株式会社という何の事業を行っているのかさえわからない名称の会社に変わった歴史を紐解くと、ソニーとは「本業のない会社」であることがわかる。

 ソニーの社史によると、東通工からソニーへ社名変更をする際にステークホルダーから「ソニー株式会社では何の会社なのかわからない。せめてソニー電子などにしたらどうか」と言われたのに対し、当時の経営者は「ソニーがいつまでエレクトロニクス関連の事業をしているかはわからない。社名で事業を縛ることで将来のソニーの可能性を狭めたくない」と説明し、あえてソニー株式会社にしたという。「今のソニーは何の会社かわからない」という皮肉を言う人もいるが、まさにその通りで、ソニーとは時代によって何をするかわからない会社であり、そもそもそれが正解なのだろう。

 だからこそ、エレキもあり、エンタテインメントもあり、金融もあるという現在のソニーは、創業時にやっていたことを形式上トレースするのではなく、新しい分野にどんどんトライしていこうという創業世代のフィロソフィーを、受け継いでいるのだと思える。

 こうして見ると、パナソニックもソニーも、健全に創業の理念を受け継いでいると言えるのではないだろうか。その意味で、パナソニックに受け継いでほしい創業の理念は「水道哲学」である。これについては次回に議論したい。

(早稲田大学大学院 経営管理研究科 教授 長内 厚)