経営と教育の両方のシステムに共通する
ヒエラルキーの「乱用」が問題解決を阻害する

――すごいお話ですね。デミング博士は、ビジネスと教育を結びつけた、最初の人だともおっしゃっていましたね。

 博士の晩年に特に顕著ですが、博士は、ビジネス界と教育界の間を行き来していました。それは、博士がビジネスという文化を深く理解していたからだと思います。

「我々のマネジメントの一般体系は、人間を破壊してしまった」――。博士は、私の著書『学習する組織』の表紙を飾るこのような推薦文をくれました。

 これまでのマネジメント・システムは、人間を破壊してしまった。そしてその破壊は幼少期から始まっているんだ、と。学校の成績、ハロウィンの衣装コンテスト、 大学……。博士は、学校の文化とビジネスの文化の間に深いつながりがあることに気づいたのです。

 そして、博士がとても懸念していたのは今で言う「パワハラ」、「権力の乱用」です。

 教師が生徒に「それは正解じゃない」と言うのは、教師の権力の乱用です。その生徒は、まったく別の方法で何かを考えている可能性があるからです。生徒がどう考えてその結論に至ったかを振り返ったり、考えを深める手助けをしたりするより、「それは間違っている」と言ってしまう。次第に子どもたちはあきらめて、ただ先生の権威に従うようになるか、「問題児」になってしまいます。

 学校で問題児とみなされた子は、通常、会社勤めは難しくなります。博士は、企業に入る人の多くが権威に従順だと見ていました。権威に従順すぎると、深い「問い」を立てることができなくなり、システムのあり方に異議を唱えることができなくなる。部分的な改善はできても、より深い問題の解決はできない。

 博士は、ビジネスにおける問題の根源は、文化的なもの、教育制度と絡み合っていると考えたのです。晩年、博士ははよく言っていました。「経営システムの変容は、教育システムの変容によってのみ起きる。両者は同じシステムなんだ」と。

 博士が意図していたのは、権威と権力の不当な行使が、経営と教育の両方のシステムに共通するということです。本当の意味での問いかけや相互理解、そして、共創できる環境の欠如……。ヒエラルキーが悪いということでは決してありません。あくまでヒエラルキーの「乱用」を指摘しているのです。

教育システムを変革しなければ
経営システムを変革することはできない

センゲ氏

 もちろんヒエラルキーは、効果的にもなり得ます。教師は、学習環境を構築することに長けています。素晴らしい先生に恵まれたという人もいるはずです。

 では、優れた教師とはどういう人を指すのでしょう。専門領域に通暁(つうぎょう)していることはもちろんですが、優れた教師というのは、同時に、学ぶ人をよく見ています。学習者と積極的に関わっているのです。

 同じテーマでも、「学習者が各々の特性を活かして学べるようにするにはどうしたらいいのか?」。これが、優れた教師に対して向けられるべき真の問いです。教師は高い専門性を持つだけでなく、それを多様な人たちに広め、誰もが学べるようにしなければなりません。

 繰り返しますが、ヒエラルキーそのものや教師という存在自体が悪いのではありません。ただ、「悪いヒエラルキー」と「悪い教え方」が蔓延(まんえん)してしまっている。教育システムを変革しなければ、企業や政府など、あらゆる組織の経営システムを変革することはできないということに、博士は気づいていたのです。

 デミング博士とのこうした出会いが、私が教育に興味を持つようになったきっかけでした。