【NHK『100分de名著』で話題の経済本】「カネと権力」と宗教がつながってしまう根本理由【書籍オンライン編集部セレクション】Photo: Adobe Stock

NHK『100分de名著 for ティーンズ』(2022年8月)で話題沸騰! 元財務大臣が十代の娘に語りかけるかたちで、現代の世界と経済のあり方をみごとにひもとき、世界中に衝撃を与えたベストセラー『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』(ヤニス・バルファキス著、関美和訳)
ブレイディみかこ氏が「近年、最も圧倒された本」と評し、佐藤優氏が「金融工学の真髄、格差問題の本質がこの本を読めばよくわかる」と絶賛、驚きや感動の声が広がっているその内容とは? 同書より一部を特別公開する。(初出:2019年3月29日。「一部の人だけに「お金」が集まり続ける理由」を改題)

そもそも「お金」とは何なのか?

 考古学者によると、世界最古の文字はメソポタミアで誕生したらしい。メソポタミアはいまのイラクとシリアのあたりだ。では、文字を使って何を記録したのだろう? 農民がそれぞれ共有倉庫に預けた穀物の量を記録していたのだ。

 倉庫の共有は、とても理にかなっている。農民が一人ひとり倉庫を建てて穀物を貯蔵しておくなんて面倒だし、みんなで同じ倉庫を使って、番人に見張ってもらうほうがずっと楽だ。

 でも、そうなると預かり証のようなものが必要になる。たとえば、「ナバックさんは100ポンドの穀物を預けた」と証明するものが要るはずだ。

 文字が生まれたのは、そんな記録を残すためだった。記録があれば、それぞれの農民が何をどれだけ共有倉庫に預けたかを証明できる。

 だから、農耕が発達しなかった社会では、文字は生まれなかった。木の実も果物も肉も魚も十分にあったオーストラリアのアボリジニや、南アフリカの先住民の社会で、音楽や絵画は発達したけれど文字が生まれなかったのはそのせいだ。

「仮想通貨」は大昔から存在する

「ナバックさんがどれだけ小麦を預けたか」を記録するようになったことが、債務(借金)と通貨のはじまりだ。古文書によると、多くの労働者への支払いに貝殻が使われていたようだ。

 畑で働いた労働時間を穀物の量に換算し、主人がその数字を貝殻に刻んで労働者に渡していた。貝殻に刻まれた穀物の量は、まだ収穫されていないので、それはある意味で主人が労働者に返すべき借金のようなものだった。

 また、その貝殻は通貨としても使えた。労働者はほかの人がつくった作物と、その貝殻を交換することができた。

 硬貨が最初にどう生まれたかという話はとても面白い。取引に使うために硬貨が生まれたと思っている人は多いが、そうではない。

 少なくともメソポタミアでは、農民がどれだけ支払いを受けられるかを記録するために、実際にはありもしない仮想の硬貨の量を書き入れていた。たとえば、台帳には「ナバックさんは硬貨3個分の穀物を受け取った」などと記録された。

 だが実際に硬貨がつくられたのは、それよりもずっとあとになってからだ。するとこの「硬貨」は取引をうながすための想像上の通貨だ。つまり、仮想通貨みたいなものだ。

 だから、いまは昔と違ってデジタル技術のおかげで仮想通貨の支払いが可能になったと言う人がいたら、それは噓だと教えてあげるといい。仮想通貨は経済が生まれたときからずっと存在した。1万2000年前に農業革命が起きて最初の余剰が生まれたときからずっと。

「信用」がなければお金に意味はない

 じつのところ、金属の硬貨がつくられてからも、硬貨は重すぎて持ち歩けなかった。そこで、ナバックさんが受け取れる作物の価値は、鉄の重さに置き換えて表されていた。

 いずれにしろ、ナバックさんはポケットに硬貨を入れて持ち運ぶことはなかった。ナバックさんが持ち歩いていたのは、ただの借用証書だった。それは、穀物の重さが刻まれた貝殻だったり、鉄の重さが記録された何かだった。大きな鉄の塊りを持ち歩くことはできなかったからだ。

 こうした借用証書にも、仮想通貨にも共通することがある。どちらも、使ってもらうには、あるものがたくさん必要になる。そのあるものとは「信用」だ。

 ナバックさんは、穀物が収穫されたら、倉庫の番人が自分の受け取るべき穀物を渡してくれると信じていなければならない。というか、信じていたはずだ。

 ナバックさんの貝殻と、石油や塩や建築資材を交換してくれた人たちもきっと、その貝殻を信じていたに違いない。これが「クレジット」という言葉の語源だ――もともとは「信じる」という意味の、ラテン語の「クレーデレ」という言葉からきている。

 みんなが貝殻(通貨)を信用して、貝殻に価値を認めるようになるには、とても力のある誰かや何かが支払いを保証してくれることを、全員が認識していなければならなかった。たとえば昔なら神託を受けた支配者や、高貴な血筋の王様や、そのあとになると国家や政府が保証してくれることが必要だった。

 たとえ支配者が死んだとしても、ナバックさんが将来かならず約束の穀物を受け取れるような、信頼できる権威の裏付けが必要だった。

そうして宗教が生まれた

 債務と通貨と信用と国家は固く絡み合っている。債務がなかったら、農作物の余剰を簡単に管理できなくなる。債務が生まれたおかげで、通貨が流通するようになった。しかし、通貨が価値を持つためには、何らかの制度や組織、たとえば国家が、通貨を信頼できるものにする必要があった。

(注:余剰について。本書第1章によると、1万2000年前に農耕が発明されてから初めて「余剰」という経済の基本となる要素が生まれた。狩りや漁をしていた時代は、獲物が腐るので余剰は生まれなかった。農耕が始まって初めて、将来のために作物を溜めておくことができるようになり、余剰が生まれた)

 経済について語るとはつまり、余剰によって社会に生まれる、債務と通貨と信用と国家の複雑な関係について語ることだ。

 この複雑な関係をひもといていくと、余剰がなければ国家はそもそも存在しなかったことがはっきりとわかってくる。

 国家には、国の運営を支える官僚や、支配者と所有権を守ってくれる警官が必要になる。支配者は贅沢な暮らしをしていたし、守るものも多かった。

 だが、よほど大量の余剰作物がなければ、大勢の官僚や警官を養っていくことはできない。軍隊も維持できない。

 軍隊がなければ、支配者の権力や、ひいては国力が維持できない。

 国力が維持できなければ、外敵が余剰作物を狙って攻めてくるかもしれない。

 だから、官僚と軍隊が存在できたのは余剰のおかげであり、余剰があるから官僚と軍隊が必要になったとも言える。聖職者もそうだ。「え、神父さんや牧師さんが余剰に関係あるの?」と思うかもしれない。それが、関係があるのだ。宗教が生まれたのも、もとはといえば余剰ができたからだ。

 なぜそうなのか、これから見ていこう。

宗教で「それが当たり前」と思わせる

 農耕社会が土台になった国家ではいずれも、余剰の配分がとんでもなく偏っていた。政治家や軍隊や社会的な地位の高い人たちが、あり得ないほどたくさんの分け前にあずかっていた。

 しかし、支配者にいくら力があっても、ものすごい数の貧しい農民が集まって反乱でも起こしたら、すぐに転覆するのは目に見えている。

 では、支配者たちはどうやって、自分たちのいいように余剰を手に入れながら、庶民に反乱を起こさせずに、権力を維持していたのだろう?

「支配者だけが国を支配する権利を持っている」と、庶民に固く信じさせればいい。
 
自分たちが生きている世界こそが最高なのだという考えを植えつければいい。
 すべてが運命によって決まっているのだと思わせればいい。
 庶民の暮らしは、天からの授かりものだと信じさせればいい。
 天からの授かりものに異を唱えたら、この世がとんでもない混乱に陥ってしまうと思わせればいい。

 支配者を正当化する思想がなければ、国家の権力は維持できなかった。支配者が死んでも国家が存続し続けられるような、国家権力を支えるなんらかの制度化された思想が必要だった。

 そして、思想を制度にするような儀式を執り行ったのが、聖職者だ。

 大量の余剰がなければ、複雑な階層からなる宗教組織は生まれていなかった。というのも、「神様に仕える」人たちは、何も生み出さないからだ。

 その時代は、余剰が全員に行きわたるほど多くはなかったので、食べ物をほんの少ししかもらえない庶民がいつ反乱を起こしてもおかしくなかった。宗教の裏付けがなければ、支配者の権威は安定しなかった。だから、何千年にもわたって、国家と宗教は一体となってきたのだ。

(本原稿は『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』からの抜粋です)