事業プロデューサーのイメージ写真はイメージです Photo:PIXTA

ものづくりの三役――プロデューサー、
ディレクター、職人

 大坂城を造った人は誰?豊臣秀吉でしょ。ブー、大工さん。関西に育ったら一度は聞く話。秀吉か大工さんかはともかく、これはなかなか深い話でもある。

 立派な城を造るためには、城を造るぞ!と計画をぶち上げ、築城の目的を明確にし、そのために各所に協力を要請(獲得)して、お金や人を調達するプロデューサーがいる。

 そしてプロデューサーから依頼をされ、目的に沿ってコンセプトを具体化させ、その上で城の具体的なデザインをして、さらには大工や石工やさまざまな作業をする人を見繕って、作業工程の設計やスケジューリングを行い、かつ現場に入って巧みに役割分担をさせながら全体の統括を行うディレクター(棟梁)がいる。

 そして、最終的には、現場で着々と石を積み、木を組み上げ、設計図をもとに実際に業務を行い細部の仕上げをする大工や石工たちなどの手を動かす職人がいる。

 現場の警備をする人や食料を提供する人など、他にもいろいろな役割の人がいるのだが、それはここでは除外して、この三つのカテゴリーしかなかったと考え、「このうち、どのカテゴリーの人が大坂城築城に最も貢献したか」、という問いを発してみると、人によって重要視する視点が異なっていることに驚かされる。

 もちろん、違う仕事なので、直接の比較はできない。よって「無意味な比較」ではあるのだが、会社においても、論功行賞をする際には、違う部門であっても、優劣をつけざるを得ない。別の仕事であっても無理やりに同一尺度で評価しなくてはならない局面は普通にあるのだ。

自分の立場によって
重要視する役割は変わる

 プロデューサーが最も重要という人は、「何よりも意思を持って『やろう』と言う人がいるからこそすべてが始まる」「経営資源の獲得ができなければ実際には何も現実化しない」「全体の方向性を意思決定する存在があるから、各種の調整も行われ事は成就する」といった主張をする。これらの人は、事の始まりや資源の調達、全体調整に注目するのである。

 ディレクターが最も重要という人は、「良い物や事ができるためには、基本となるデザイン(設計)が何よりも重要である」「現場がすべてであり、現場をリードする優れた人がいるからこそ良い物は生まれる。金があってもディレクターがダメだとプロジェクトは必ず失敗する」「人の差配や資金の適確な利用、これらの統括こそ、大きなプロジェクトを成功させるカギである」などと言う。こうした人は、基本となる設計の質や組織的な行動の制御こそが最重要だと考える。

 職人が重要という人もいる。「神は細部に宿る。いくらコンセプトや設計が良くても、仕上げがダメならすべてはダメである」「レベルの高い職人が競い合い、士気を高め合うからこそ、大きな物、事が成る」「そもそも高い技術を持つ人がいて、彼らが活動することを想定して、設計も企画も行われる。すべての起点は現場の持つ技術にある」と、実際に、物や事が成し遂げられる実行力や作り込みの技術に注目する。

 人によって、何が重要と考えるかは、随分異なる。そのような違いが生まれる背景には、自分自身がどこのカテゴリーに属しているか(特に精神的に)、または、自分の組織がうまくいかない原因をどのように考えているかに関係しているように思われる。

 私はというと、ずっとプロデューサー的な経営者の支援をしてきているので、その偉大さを身をもって感じている。一方で、結局、誰が現場の差配をするかで結果は全く変わってしまう現実も知っている。さらには職人志向の強い家系育ちであるため、最もシンパシーを強く感じ、尊敬するのが職人である。どのカテゴリーの重要性も強く感じており、優劣が全く付けられない。

 実際には、プロデューサー、ディレクター、職人はそれぞれ完全なる補完関係にあり、良いプロデューサーは良いディレクターと良い職人がいるから、良いプロデューサーたり得るのである。他も同様である。したがって、良い仕事のためには、3種の人材がすべてそろっていなければならない。

 では、現実の日本の大企業のこの3種の人たちの充足状況はどうか。もちろん会社によって違うから断定はできないが、ほとんどの会社が同じような状況にある。