新しいことに挑戦し
失敗する機会が必要

 まずはプロデューサー。会社の得意なパターンの仕事に限ればそれなりにいるが、新しい領域に挑戦するとなると、取り組もうとする人すらほとんどいない状況にある。ちょっと興味のある若手はたくさんいても、本格的にやるかと問われると尻込みしてしまう。30代後半ともなると、成功確率の低い新しい事業をやると明らかに出世に不利なことを経験的に知っているからだ。

 プロデューサー業務を遂行するには、ある種の詐欺師的な能力がいる。まだ何もないのに成功する幻想を抱かせ、期待感のみで人を引きつけ金や人を出させる。そのプロジェクトに最適なディレクターを見つける目利き力があり、全体が勝ち馬に乗っているような幻想を抱かせ、やる気を出させる魔法を持っている。これらの素養のある人はいても、この能力を開花させるためには、力量のあるプロデューサーの下でその立ち居振る舞いを学ぶ機会と実際に自分でやってみる経験が不可欠なのである。

 そのうえで、手ひどい失敗をして、成功と失敗を分ける分岐点の感覚を持てないと本物にはなれない。残念なことに、このプロデューサー能力を持つ人材の発見と育成には、大企業はほとんど成功していない。長い不況下においては、コストカットすれば、それが成果と履き違えられてしまう状況が続き、誰も新しい挑戦をしたがらないし、一度も挑戦をしたことのない人材ばかりが役員になってしまい、そういう上層部の下ではますますプロデューサーが育たないという悪循環もある。

 さらにはプロデューサーの育成と経営者の育成は全然別ものであるにもかかわらず、どうも混同して捉えられているという不幸がある。経営者は会社全体の数字をきっちり作ることが仕事であり、あるプロジェクトを創出し、事業化するというプロデューサーに必要な能力を持ち合わせているわけではない(両方持ち合わせている人がいないわけではないが)。

 困ったことに、最近はそれなりに成功したら、すぐに評判になり、お金が付いて自分でベンチャーを起こすこともできる。大企業の外のほうがずっと楽にいろいろなことができる。そんなことで、才能のある人は大企業内に残らないのである。とはいえ日本でスタートアップが大企業をしのぐほど活気があるかといわれると、まだまだなかなか難しいところがあるだろう。

 ちなみに、株主の要求が厳しく、高いROEを求められる世界では、社内で生ぬるく「新規事業ごっこ」などをやっている余裕がない。結果的に、大企業内で新規事業をやることはすっきり諦めて、効率化による利益創出に邁進する。一方、プロデューサー的な能力がある人やアイデアを持つ人たちは、大企業の外で、どんどんスタートアップを興し、大企業がいない広大なスペースで、別の生態系をつくる(そして、大企業に買収されるか、IPOをする。IPO後の買収ももちろんある)。日本では下手に新領域に大企業が手を出すことから、スタートアップの生態系もなかなか育たないという状況がある。

 以上がプロデューサーをめぐる日本の現実である。

棟梁と職人も
壊滅的に人材不足

 次に現場を束ねるディレクター。ディレクターには全体のデザイン力と統率力が必要だが、これも幾多の経験によって研さんを重ねて初めて物になる。現在はまだ、若い頃に現場の経験をたくさん積んだディレクターが多少は残っているものの、もうすぐ会社から去る。企業は定年延長を頼みこんで残ってもらっているが、長くは保てない。経験の浅い者がデジタルで新たに業務を統合するなどと言って多少の最新知識をひけらかしても、既存の業務に対する知識が決定的に不足しているから、何か起こったときに、どこのボタンをどう押して解決すれば良いかも知らない。よって、うかつにデジタル化も進められない。現場の優秀なディレクター不足も深刻な状況にある。

 そして、よく言われるように、優秀な職人がたくさんいて強かったはずの現場力は壊滅的な状態にある。コストダウンであらゆる仕事を外注化したため、実務的な業務スキルは本社には残っていない。ポンチ絵の中身のないパワポ資料は作れるが本当に何も知らない社員ばかりになってしまっている。データ改ざんがあっても見抜けもしないし、機械が壊れても自分では直せない。下請け業者に頼りきりだが、こちらも人材不足である。下請け業者にコストダウンさせすぎたせいでそうした会社は疲弊し、人を採用できていない。悲しいことに、海外の優秀な協力会社は、高いお金を出してくれるか、能力を向上させてくれる会社の仕事にしか振り向いてくれないから、コストのことしか言わず、勘どころのわからない素人発注者は見向きもされない。と、おしなべてあまり良い状況にはない。

 では、どうすれば良いか。