ラテン語こそ世界最高の教養である――。東アジアで初めてロタ・ロマーナ(バチカン裁判所)の弁護士になったハン・ドンイル氏による「ラテン語の授業」が注目を集めている。同氏による世界的ベストセラー『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』(ハン・ドンイル著、本村凌二監訳、岡崎暢子訳)は、ラテン語という古い言葉を通して、歴史、哲学、宗教、文化、芸術、経済のルーツを解き明かしている。韓国では100刷を超えるロングセラーとなっており、「世界を見る視野が広くなった」「思考がより深くなった」と絶賛の声が集まっている。本稿では、本書より内容の一部を特別に公開する。

「絶望のどん底にいるあなた」に知ってほしい「たった1つの考え方」Photo: Adobe Stock

すべてに絶望したあなたへ

 ラテン語では「希望」を「スペス spes」と言います。期待が打ち砕かれた瞬間、私たちは絶望に陥りますが、ラテン語では「希望が終わること」を「デスペラティオ desperatio」と言います。これが英語のdesperation(絶望)になっています。

 ところで、さらに気になることがあります。希望を語るには前提となるものがあるということです。それは「人生」です。希望とは、生きている人間だけが語れるものなのです。

 生きているからこそ夢を見ることができ、大小さまざまな希望を抱くことができます。いつか成功して大金持ちになりたいとか、愛する人と結婚したいとか、世界一周旅行を楽しみたいなど、そんなありとあらゆる希望を持つことが、命がある限り可能だということです。

 一度も死を覚悟したことがなければ幸いですが、みなさんの中にも人生が苦しく耐え難くて死に逃げてしまおうと思った経験がある人もいるかもしれません。

 カトリックでは自死は禁忌です。しかし、こんな私でさえ、あまりのつらさにその禁忌を破ってしまいたい気持ちになったことがありました。

 理由はともかく、以前の私はとても弱い人間でした。しかし、そんな瞬間に次の文章が脳裏に浮かび上がり、私は人生を終わらせることを思い留まりました。

Letum non omnia finit.
レトゥム・ノン・オムニア・フィニット
死がすべてのことを終わらせるわけではない。

 人間はいつかは死にます。それでもその死がすべてを終わらせるわけではない、生きている限り希望があるのだと名句は語っています。

(本原稿は、ハン・ドンイル著『教養としての「ラテン語の授業」――古代ローマに学ぶリベラルアーツの源流』を編集・抜粋したものです)