この時、乗務員はトンネル内で停車した場合には、避難や消火に支障があると判断して列車をトンネル出口まで走行させ、そこで消火したことで被害は出なかったが、規程に沿わない取り扱いだったため、乗務員は処分を受けたという話もある。

 さらにその2年前、1967年には地元の敦賀市消防本郡が国鉄に対し、火災発生時を想定した防災対策について、指揮命令系統の確立、列車の緊急停止方法の徹底、火災・酸素欠乏に備えたマスクの常備、初期消火のための消火栓や小型動力ポンプの設置、緊急時の外部への連絡方法などの改善勧告を出している。しかし、国鉄はこれらの教訓を設備・規程に反映せず、「きたぐに」の悲劇を生むこととなってしまった。

 鉄道では過去、さまざまな列車火災が発生している。電車であれば大電流のショートによる火災、ディーゼル車であればエンジンの熱源や搭載する燃料に起因する火災、さらにブレーキなどの発熱からの発火など、いろいろな熱エネルギーが火災の要因となる。

 1951年には京浜東北線桜木町で106人が死亡する桜木町事故が発生。また都市部でも1957年に大阪市営地下鉄御堂筋線西田辺駅、1968年に営団地下鉄日比谷線六本木~神谷町間で車両火災が発生しており、北陸トンネル火災事故の直後、同年11月21日にも日比谷線広尾駅で車両の床下機器から発火する事故が起きている。

 こうした事故の度に当該路線で使用する車両の難燃化・不燃化が進められたが、対象外の路線でも事故が発生したり、新たな盲点が見つかったりして、基準は徐々に強化されていった。

燃焼実験で安全性を確認し
トンネル火災時の規程を変更

 国鉄は北陸トンネル火災事故を受けて、遅ればせながら火災対策に乗り出した。1972年から1974年にかけて実際の車両とトンネルを用いた燃焼実験を行って安全性を確認した。この結果、適切な素材、設備を備えた車両であれば、トンネル内で火災が発生した場合も停車せずに走り抜ける方が安全であることが実証され、規程を変更した。

 また新造車両は難燃材料、延焼防止構造の採用、消火器・非常灯の設置、放送設備を多重化することになり、トンネル内にも車両課設備や避難経路表示などが追加された。