「他の人に迷惑を掛けてはいけない」と自分を追い詰めて、かたくなに休まない人がいます。それはお釈迦さまの考えにも反しています。いくら苦行をしても、悟りは開けません。一休さんにならって、「一休み、一休み」しましょう。(解説/僧侶 江田智昭)
極端な修行は極端な思考しか生み出さない
「こんなこと言われても、簡単に休むことなんてできないよ」と思われた方がたくさんいらっしゃることでしょう。全国10万人を対象に、2021年11月から12月に日本リカバリー協会などが実施した「ココロの体力測定」の結果によると、日本人(20~79歳)の80.7%が「疲れている」もしくは「慢性的に疲れている」と答えたそうです。
30年ほど前のバブル経済の頃には、「24時間戦えますか」というCMがありました。疲労が蓄積され、解消されないままの労働スタイルで経済成長できたという成功体験があるのでしょうが、そのやり方で今後もうまくいくとは限りません。ほとんどの人が慢性的な疲れを感じるような状況では、新しいものを生み出すことは困難であり、幸せを感じることもなかなかできないでしょう。
こちらは40年ほど前ですが、『一休さん』というテレビアニメがありました。その中で、主人公の一休さんが、「あわてない、あわてない、一休み、一休み」といつも言っていたのが印象に残っています。では、お釈迦さまは、「休むこと」をどのようにとらえていたのでしょうか。
29歳の時に出家したお釈迦さまは、大変厳しい修行に励まれました。その中には、私たちの想像を絶するような断食や呼吸を止める苦行なども含まれ、その結果、体は極端にやせ細り、骨と皮だけのような状態になってしまったのです。
極限まで自分自身を追い詰めましたものの、このまま苦行を続けていても悟りを開くことはできないと感じたお釈迦さまは、スジャータという少女が提供した乳粥を食べることによって体力を回復させました。その光景を見た修行者たちの中には、「お釈迦さまは堕落した」と思った人が少なからずいたようです。
体力を回復してからは修行のスタイルを変えて、一人で静かに瞑想を行いました。極端な修行は極端な思考しか生み出さないため、あくまで中道が大切だと気づかれたからです。その後、菩提樹の下で瞑想を続ける中で、お釈迦さまはついに悟りを開かれます。それは35歳のことでした。
こうして見ると、「極端な苦行をすることこそが偉い」という価値観に執着しなかったことが、悟りへとつながったとも言えます。また、乳粥を食べてしっかり休み、体力を回復させたという事実も見逃せません。つまり、お釈迦さまは休むことの大切さを認識していました。それは、弟子とのやりとりの中にも表れています。
優秀な弟子の一人であるアヌルッダは非常に真面目な人でしたが、お釈迦さまが説法をしているときに一度居眠りをしてしまいます。その際にとがめられたことから、彼は「今後は絶対に寝ない」と固く誓ったのです。
全く寝ないので、まず目の調子が非常に悪くなりました。お釈迦さまは、「私は中道が大切だといっているではないか。しっかり寝て休んで、健康を回復させなさい!やりすぎはよくないですよ」とアヌルッダを諭しますが、それでも寝ようとしませんでした。その結果、彼は失明してしまいます。
その後、アヌルッダは失明したことと引き換えに天眼(すべてを見通す力)を得たそうなので、最終的にはこれが良かったとも悪かったとも言えませんが、このエピソードからも分かるように、「お釈迦さまはほどほどに休むことも大切だ」と思っていました。
ですから、私たちも休むことに対して、極端な罪を感じる必要はありません。休まなければいけないときには、休む勇気を持つことも大切です。大変忙しい時期に休んだとしても、人生のすべてを失うわけではありません。
あわてない、あわてない、一休み、一休み。
一休さんのこの言葉を、疲れたなと感じたときには思い出してみてください。