2015年の発売以降、今でも多くの人に読まれ続けている『ありがとうの神様』。本書は、小林正観さんの40年間に及ぶ研究のなかで、いちばん伝えたかったことをまとめた「ベスト・メッセージ集」だ。あらゆる悩みを解決する「ありがとう」の秘訣が1冊にまとめられていて、読者からの大きな反響を呼んでいる。この連載では、本書のエッセンスの一部をお伝えしていく。

ありがとうの神様Photo: Adobe Stock

人生は「修行の場」ではなく「感謝の場」

 ある方から、「この世は修行の場なのですね。この世では、我慢や忍耐をして生きていかなければならないのですね。目の前の出来事はすべて修行のために存在しているのだから、立ち向かったり、乗り越えなければならないのですね」という質問をいただきました。

「人生=修行」ととらえてもかまいませんが、宇宙の構造としては、「修行の場」として設定されているわけではありません。

 私たちの目の前に起きる現象は、すべて「ゼロ(中立/ニュートラル)」なのではないでしょうか。

 物事をとらえる力を「認識力」と呼ぶなら、認識力が上がるにしたがって、この世の中を「3つの段階」で解釈するようになります。

第1段階…… 「この世は、修行の場である」
「目の前の現象は、『私』に修行をさせるために存在している。人生は苦しみに満ちている」と悲嘆にくれるより、「苦しみや悲しみを乗り越えていくしかない」と考える人のほうが、まだ一歩前進していると思います。そう思うことで気持ちがラクになるのであれば、そのようにとらえてもいいと思います。ただ、本質的には、この世は「修行の場」ではありません。

第2段階…… 「この世は、喜びの場である」
私たちが肉体を持って生まれてきたのは、「人生を喜ぶためではないか」と考えることもできます。このように認識することができたら、認識力は「3分の2(100点満点中の66点か67点)」まで行ったといえるでしょう。

第3段階…… 「この世は、感謝の場である」
100点満点中の99点、あるいは100点のとらえ方は、「この世は修行の場でもなく、幸せや喜びの場でもなく、じつは、感謝の場である」ことに気づくことです。

 たとえば、自分の会社が倒産し、職を失ったとします。

 そのとき、「自分はこういう状況に耐えて、我慢し続けることで人生の修行をしている」と、「第1段階」のとらえ方をする人がいてもおかしくありません。

 ところが、認識力が「第2段階」まで上がっていると、「この会社を辞めて新しい仕事ができることは、とても嬉しく、楽しく、幸せなことだ」と思うようになります。

 そして、認識力のいちばん奥にある「第3段階」では、「新しい仕事を探さなければいけなくなったからこそ、天職や天命に出会える」と、「会社が倒産したこと」にも感謝できるのです。

 私は、「感謝の場だととらえるべきだ」という「べき論」を言っているのではありません。「修行の場」だととらえることで、人生が楽しくなるなら、それでもいい。

 しかし、「修行の場」と思うよりも「この世は感謝に満ちている」と考えることでラクに生きられるのであれば、そのように認識を変えればいいと思います。

 現象自体はゼロです。「修行」でも、「喜び」でも、「感謝」でも、どんな色をつけても自由です。

 自由とは「自ら由る」と書きます。

 自由のとらえ方、認識の力が、この世の評価を決めるのです。