がん患者の時間と
「資源の最適化」

 さて、筆者はこれからどうなるのだろうか。幸運な場合これから順調に治癒に向かう。その可能性もある。しかし、前述のように食道がんは再発や転移が多いので、楽観はできない。1、2年後に再発する可能性も小さくはない。

 ただ、不運にして再発した場合も、おそらく治療を試すことができる手段は残されているだろうし、それなりの時間を過ごすことができるだろう。

 自分に関する当面の理解は、「あのままだと年内に死んでいただろうけれども、たぶん1、2年は活動的な時間を得ることができた」ということだ。将棋で言うと、投了寸前の局面を形勢不明に持ち直したような気分だ。悪くない。

 がんは「死」や「不治」という言葉を連想させるし、実際に厄介な病気だ。しかし、状況に応じて「自分の残り時間」を意識して、時間という自分の資源の使い方を考えることができる点で、そう付き合いにくい病気ではない。

 筆者の場合で言うと、まず1、2年の時間を有効に使うことを考えつつ、幸いにしてもっと時間を得ることができたら、その前提で時間の使い方を最適化するといいのだろう。漠然と考えるよりも、時間を限って場合分けしながら考えると、将来は意外に考えやすい。

 投資家の場合、投資そのものについては、「無期限に長く」と思うくらいで理想に近づくし、1世代だけで考えるのではなく「2世代運用」も視野に入れたいとも思う。ただ、ことお金の使い方に関しては自分の時間を意識して有効な使い方を考えたい。お金はそれ自体の最大化が目的ではなく、あくまでも手段だ。

 思い起こすと、入院の申込書類の中に「信条」や「モットー」はあるかというやや大きめの記入欄があった。宗教的な信条などがある人のために用意された質問なのだろかと思ったが、筆者は、「正直、快活、上機嫌!」と書いた。病気の療養でも、投資でも、仕事でも、遊びでも、快活に機嫌良くやる方が、自分にとっても、他人にとってもいい。

 筆者は当面、真面目に、しぶとく療養する、上機嫌ながん患者でありたいと思っている(なお、個人投資家になるのは、もうしばらく先の予定だ)。