上島竜兵(1961年1月20日~2022年5月11日)
長年お茶の間で親しまれたタレントの突然の死に驚きと悲しみの声が相次いだ。肥後克広、寺門ジモンとともにダチョウ倶楽部として活動し、ベテランとなってからも「いじられキャラ」に徹した。
肥後、寺門は「上島は天国でジャンプします。皆様もジャンプして下さい。そして、上島の分、3倍笑って下さい」などの内容のコメントを発表。「ダチョウ倶楽部は解散しません。二人で純烈のオーディションを受けます」と芸人らしくボケて見せ、年末のNHK紅白歌合戦では実際にコーラスグループ純烈と共演した。
紅白では純烈の小田井涼平が「今日は、上島竜兵さんを入れた8人全員で歌おうと思います」と笑顔で宣言し、歌い終えた後は全員で決めポーズの「ヤー!」を行った。ファンを涙ぐませ、同時に安心させるような温かいパフォーマンスだった。
安倍晋三(1954年9月21日~2022年7月8日)
参議院選投票日の直前、まさかこんな事態が起こるとは誰もが予想していなかっただろう。歴代最長の在職日数を務めた元首相が、遊説先で銃撃された。
参院選はもとより自民党の大勝が予想されており、選挙後3年間は衆院を解散しない限り選挙がないことから自民党政権にとって「黄金の3年間」になると見込まれていた。
結果は予想通り自民大勝となったものの、支柱を失った混乱は大きく、反対の多かった「国葬」を押し切った岸田政権は支持率低下の一途をたどっている。
米ワシントン・ポストが「生前と死後、日本の世論を二極化させた人物」と報じた通り、熱烈な支持者と反対論者の両側から常に注目を浴び、退任後も現役首相らよりも存在感があったと言って過言ではない。
国葬には海外から米国・ハリス副大統領やインドのモディ首相らも参加し、参列者は4000人を超えた。一般向け献花会場では約2万3000人が献花したと報じられている。
年が明けてからも、女性タレントがインスタグラムに「(羽田国際空港や成田国際空港を)安倍晋三国際空港にしてほしい」とつづればSNS上は瞬く間に賛否であふれ、関連ワードがトレンド入りして大荒れ状態に。
「死後も世論が真っ二つ」状態は今も続いている。
アントニオ猪木(1943年2月20日~2022年10月1日)
「1、2、3、ダー!」「元気ですか!」のパフォーマンスでリングから政界まで駆け抜けた。
力道山にブラジルでスカウトされ17歳でプロレス界入り。1972年に「新日本プロレス」を立ち上げ、プロレス黄金期の先駆けとなった。
1989年に政界入りするも、プロレスラーとしての活動は1998年まで続いた。
幅広い年齢層から愛され、死去が報じられるとSNSでは「猪木ボンバイエ」やタッグを組んだジャイアント馬場などの関連ワードが多く投稿された。「ひとつの時代が終わった感がある」と哀悼する人も多く見られた。