デザインディスコースと民主主義の基盤としての共通性

 しかし、それはたまたま物理的に寸法が限られた例を出したからであって、現実にあるモノ、さらにはコトにまで広げて考えると、ズームアウトすれば分かるというものでもありません。そもそも、ズームアウトとは体の動きからすれば後ろにずらすことですが、範囲が定まらない大きく複雑な事象に対し、どうすればズームアウトが可能になるのでしょうか?

 また、カタチが分かればいいわけでもありません。(私は触ったことがありませんが)やはり象の肌の感触や温度、あるいはにおいがつかめた方が象のことがよく分かるでしょう。そのためには対象となる象に接近もしないといけません。だから一人一人の視覚に不自由な人による体験に基づいた理解も人々の理解に貢献するのです。もちろん、Aという状況に役立ち、Bという状況には役立ちにくい、そういったことはあります。しかし、誰であっても、その人の解釈や意見は「個人的見解」以上の価値を発揮する。これが認識の前提になります。

 一見、飛躍するように見えるかもしれませんが、これが民主主義の基盤であることにも留意しておいた方がいいでしょう。なぜなら、民主主義とは誰もが自由にものを考え、それを表現できることが起点になります。そして、それらをベースに議論することで、何らかのカタチで統合していくのが民主主義のプロセスです。別の言い方をすれば、民主主義とは多くの視点に基づいた学びのインフラなのです。

 従って強権主義の社会においては、ある時点のトップの意向で短期的にうまくいったとしても、そのトップが失墜した場合、学びのプロセスを内蔵していない社会には大きな混乱が起きます。再生力または回復力が弱いのです(冷戦中の旧共産圏にはデザインディスコースが成立していませんでした)。このロジックは、当然ながら、国家だけでなく企業のような組織にも適用できますから、ビジネスの世界でもフラットな環境の必要性が盛んに問われるわけです。