「形式より実質重視」は戦国時代の価値観

書影『武士とは何か』『武士とは何か』(新潮選書)
呉座勇一 著

 文亀(ぶんき)二年(一五〇二)になっても即位式実施の見通しは立たなかった。それどころか政元は以下のように語ったという。「即位式など無駄である。即位式を行ったところで実質が伴わなければ『王』とはみなされない。現状のままでも私は(後柏原天皇を)『国王』と思っている。だから大金を投じて大がかりな儀式を行う必要はない」と(『大乗院寺社雑事記〈だいじょういんじしゃぞうじき〉』)。

 形式よりも実質が重要という価値観は戦国時代のものだ。名門武家の細川家の嫡男として生まれた政元が実力主義を掲げて謀反を起こした点は先進的と評価できよう。

 だが実力主義が社会に浸透すれば、政元自身も下位の実力者から挑戦を受けることになる。実子のいない政元は、後継者問題をめぐって家臣団の分裂(いずれも養子の澄之派と澄元派)を招いてしまう。永正四年(一五〇七)六月二十三日、政元は浴室において家臣の竹田孫七らによって暗殺された。黒幕は、澄之擁立をたくらむ有力家臣の香西元長(こうざいもとなが)らだったという。享年四十二であった。