まずは、CPIとPCEの作成過程を、上の表のような簡単な例を用いて説明する。
商品が2つあって(商品Aと商品B)、Aの価格が100円から150円に値上げされたとする。一方、Bの方は価格が据え置かれているとする。このとき値上げされたAの方は売り上げが落ちる。ここでは話を分かりやすくするために、Aの売り上げがゼロまで落ちると想定している。
この設例の下で、CPIとPCEを計算すると(計算の算式については上表を参照)、CPIは25%の上昇、PCEは11.8%の上昇と、大きな差が出てくる。
なぜこうした大きな差が出るかというと、CPIは商品Aの売れ行きが値上げによって減少することを完全に無視するからだ。実際、上表のCPIの算式では、Aの売り上げがゼロになったという情報は一切、使われていない。
これに対して、PCEは商品Aの売れ行き減を考慮する。PCEの算式には「0.0」という数字が出てくるが、これは商品Aの売り上げがゼロという意味だ。商品Aの売り上げ減に伴い、商品Aの値上げを軽くみる。だから、その分、物価上昇率が低くなる。
つまり、CPIとPCEの違いは、値上げに伴う売れ行き減を考慮に入れるか入れないかの違いだ。これが、CPIは消費者が「見た」価格、PCEは「買った」価格を集計したものといえる理由だ。
実際、手を伸ばしてはみたものの、高い値札におののいて買うのを諦めるという消費者が米国でもたくさん出てきており、それが前ページの図のようなCPIとPCEの乖離を生んでいると考えられる。
当然のことながら、「見た」だけで買わなかった商品の価格は実際に「買った」商品の価格より高い。だから、CPIの上昇率はPCEの上昇率よりも高くなる。
消費者は「見た」価格も重要
中央銀行の物価認識と乖離
では、「見た」価格と「買った」価格はどちらの方が大事だろうか。
経済学では、「見た」価格より「買った」価格の方が大事だと考える。「見た」価格は、見ただけで実際の経済取引(消費者の購買)は起きていないし、当然、おカネも動いていないからだ。
これに対して、「買った」価格は経済取引とおカネの動きを伴っている。経済学者は「買った」価格に基づくPCEの方が適切な指標と考える。米国の中央銀行であるFedがインフレ目標の指標としてPCEデフレータを用いているのも同じ理由だ。
消費者にとってはどうだろうか。みなさんにとって、おカネの動きを伴う「買った」価格はもちろん大事だし、家計簿などに記録されるのも「買った」価格だろう。
とはいえ、「見た」価格はどうでもいいかというと決してそんなことはないはずだ。近所のスーパーのあの商品が高いという情報を交換し合うとき、圧倒的に大きな価値があるのは「買った」価格ではなく、「見た」価格だ。また、最近物価が上がったなあという、消費者の実感に影響を及ぼすのも「見た」価格だ。見ただけで買えなかった価格こそが消費者の実感を形作るといってもよいだろう。
このように整理すると、PCEとCPIの乖離は、Fedの(そして経済学者たちの)物価認識と消費者の実感の乖離を意味する。この乖離は今後、厄介な問題を引き起こす可能性がある。