もし、みなさんが「自分の“べき論”を人に押し付けている」という心当たりが少しでもあれば、「自分の考えに凝り固まっているのかもしれない」と、自分自身を見つめ直すことが大切です。

 ただし「べき論」にも、社会的責任が伴うものがあります。例えば、2021年に日本大学の前理事長が所得税法違反罪に問われた件がありましたが、やはり大学の理事長たる者は法律を守り、清廉潔白であるべきだと思いますし、「個人の自由だから好きなように行動する」と言うべきではないと思います。

「有名税」もそれに似ています。フランス語の「高貴さの維持には義務が伴うこと」を意味する格言、「ノブレス・オブリージュ」ではないですが、役職者や有名人は、やはりそれだけの責任を負う言動が必要です。政治家や公人などにも、当然守るべき責任が存在しています。

「べき論」をやめた方がいい場合

 では逆に「べき論」を展開しない方が良いのはどんな場合でしょうか。例えば、行動を制限したり強制したりするものが当てはまるでしょう。「社内恋愛禁止」「受験生は遊んではダメ」「母親なら子どものために自分を犠牲にするべき」などが、わかりやすい例です。また、人の生死に関わるような「べき論」も、言い過ぎでしょう。「人は80歳になれば引退するべき」といった考え方も、それぞれの価値観によって異なります。つまり、物事のすべてが「べき論」で語れるものではなく、人それぞれの価値観やモノ・コトに対する価値観の違いによって変わるものだということです。

 そうかといって、ポリティカル・コレクトネス、つまり誰に対しても不快感を与えないように建前だけしか言えない社会というのも、不自由な世界だなと思います。なぜトランプ氏があれだけ人気があったかと考えると、困ったことではありますが、やはり「本音で語る」というあの乱暴さが、「建前を言うべき」という圧力にストレスを感じている人に受けたところがあるからだと思います。