アンコンシャス・バイアスを仏教から読み解く

 世間にはさまざまな「べき論」があります。それを一つひとつとらえてアンコンシャス・バイアスを持ってしまうのは本末転倒です。例えば仏教では、眼識、耳識、鼻識、舌識、身識などの5つの感覚(前五識)の上に、6番目の意識、7番目の末那識(まなしき)、8番目の阿頼耶識(あらやしき)があると教えています。

 この6番目の意識には心理学でいう深層心理、つまり無意識の中にあるものも含まれています。これまでお話ししてきた無意識の思い込み(=アンコンシャス・バイアス)=執着ともいえるものです。仏教でも、そこから自由になり「悟り」に至るために、こうした執着から離れて無我にならなければならないといっています。それは修行することで、初めてたどりつける境地だと思います。

 そこまでの悟りには至れなくとも、アンコンシャス・バイアスに陥らないためにはどうすればよいか。それはとても難しいことですが、「社会的に受け入れられる範囲はどこまでか、どこからが行き過ぎなのか、自分の立場も含めてわかっておくこと」だと思います。旧統一教会の問題でも「信教の自由」は守られるべきですが、反社会的な行動を行ったり、信者に犠牲を強いたりするのは許されません。また、自分が大切にしたい価値は何なのか、それをしっかり認識したうえで他人の価値も大切にする、そのスタンスを持っていることが重要なのではないでしょうか。