周囲から高く評価され、順調に出世して行く人と、なぜか評価されない人。悲しいかな、世の中、そういった評価の差が出てきてしまうのが現実だ。しかし、両者の実力の間には、本当にそれほど大きな差があるのだろうか? 伝説のブログ「分裂勘違い君劇場」の著者であるふろむだ氏は、著書である『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』「人の評価は認知バイアスによって引き起こされる『思考の錯覚』で大きく変わる」と語る。「思考の錯覚」とは何か。評価される人とされない人は、何が違うのか。その評価はどうすれば変えることができるのか。本書の内容からご紹介する。(構成:神代裕子)

人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっているPhoto: Adobe Stock

「全体的に優秀」な人は、過剰評価の可能性も

 何をしても、いつも高く評価される人がいる。実際、何をさせても素晴らしい結果を出す、有能な人はこの世に存在する。

 その一方で、周囲の人から、「さすが○○さんだね」「何をさせても優秀だなあ」と褒められていている様子を見ても、「あの人、そんなに言うほどすごいだろうか」と疑問に思った経験がある、という人もいるのではないだろうか。

 しかし、多くの場合、そんな感想を口に出すと「ひがんでいる」と思われるのが関の山。それをわかっているからこそ、誰にも言えず心の中で悶々としてしまう……。

 そんな経験がある人も少なくないはずだ。筆者にも覚えがある。

 実際に、人の実力を正確に測る手立てがあるかどうかは不明だが、「全体的に優秀」と言われている人は、「過剰に評価されている可能性」が大いにある、と本書の著者・ふろむだ氏は主張する。

 評価する側が「思考の錯覚」に陥ってしまっている可能性があるからだ、という。

評価を大きく左右する「ハロー効果」

 ふろむだ氏によると、この「思考の錯覚」とは簡単に言えば「脳の勘違い」のことらしい。

 そして、それは、「ハロー効果」と呼ばれる「認知バイアス(認知の偏りやゆがみ)」によって引き起こされる。

 この「ハロー効果」とは、後光効果とも呼ばれるもので、何か1点が優れていると、後光が差したように何もかもが優れて見える、認知バイアスの一つである。

 例として、こんな話が挙げられている。

 認知心理学者のダニエル・カーネマンが、学生の論文を採点していた時のこと。

 学生は2種類の論文を提出することになっていた。カーネマンは最初、ある学生の論文1、論文2を続けて採点して、次の学生の論文に移っていたが、「この採点方法は妥当なのだろうか」と疑問を感じ、全学生の論文1を見た後に、全学生の論文2を見る方法に変えてみた。

 すると、最初の採点方法に比べ、論文1の点数と論文2の点数が大きく異なるケースが増えたのだという。

 なぜかというと、最初の方法の場合、論文1が優れていた場合、カーネマンの中で「その学生は全体的に優秀だ」という印象が形成され、論文2を見る目が甘くなっていたのだ。

 逆に、論文1の出来が悪かった場合、「その学生は全体的に無能だ」という印象が形成されてしまって、2本目の論文のダメなところを厳しく減点してしまっていた。

 そのため、論文2の出来がそこそこ良くても、論文2の出来も悪い、と評価してしまっていたのだそうだ。

 つまり人間には、プラス方向にしろ、マイナス方向にしろ、「大幅に過大評価をしてしまう」という認知バイアスがある、ということだ。

 このような、「ハロー効果による認知の偏り」を自覚するのはかなり難しい、とふろむだ氏は語る。

理屈としては、ハロー効果への対処法を理解していても、「直感的に正しいと感じること」が正しいとしか、思えないから。「直感が間違える」というエビデンスがいくらあっても、客観的事実より、自分の直感のほうを信じる。人間とは、そういう生き物なのだ。(P.56) 

 ということは、「この人は優秀だ」「この人は無能だ」といった評価は、認知バイアスにまみれた人の直感だけで下され続けていると言える。

 なんと当てにならないものに、私たちは振り回されているのだろうか。

 時には、そのいい加減な直感による評価で、給与やボーナスの額までも変わりかねないのだから、勘弁していただきたい話である。

「無能」とレッテルを貼られた場合の解決策

 ふろむだ氏によると、あるポジションで成果を出した人は、「全体的に優秀だ」と評価され、そのハロー効果のせいで、彼のすることはなんでも好意的に解釈され、「優秀な人は、何をやらせても優秀」だと言われるのだという。

 逆に言うと、あるポジションで成果が出せなかった場合、「あの人は全体的に無能だ」と評価され、そのハロー効果のせいで、彼のすることはなんでも悪く取られ、「ダメなやつは何をやらせてもダメ」と思われ始める。

 その結果、「この人は全体的に無能だから、どこの会社に行っても大体ダメだろう」と思われたり、本人もそう思い込むようになってしまったりする、とふろむだ氏は指摘する。

 しかし、この評価もハロー効果によるものなので、もしあなたが職場で「あの人は全体的に無能だ」と評価されていたとしても、「どうせ私は無能だから……」と絶望する必要はないということだ。

 そのポジションで成果が出せないことで「あいつはダメだ」と思われているだけで、ポジションや職場を変えたら、大きな成果を出せる可能性も十分ある。

 ハロー効果の働かない、「新しい場所」に行けば良いだけの話なのだ。

学生と社会人ではゲームのルールが異なる

 このように、人生を大きく左右しかねない「ハロー効果」だが、ふろむだ氏は「影響しない部分もある」と語る。それは、「受験」だ。

 確かに、テストの点はハロー効果のおかげで上がったりはしない。

 ふろむだ氏の見立てによると、受験における成功・失敗を決める要因は、「運」が20%程度で、残りは「実力」といった割合だ。実力が大きく影響している。

 しかし、社会人に関しての成功・失敗を決めるのは、「運」と「思考の錯覚による良い評価」(本書では『錯覚資産』と呼ぶ)と「実力」で、概ね3等分だという。

 社会人においては、自分の努力や実力だけではどうにもならない部分が格段に大きくなってしまうのだ。

社会人の仕事の多くは、受験勉強よりも、はるかに不確実性が大きく、運に左右される変数が多いし、錯覚資産の多寡で結果が大きく左右されるからだ。つまり、学生と社会人ではゲームのルールが根本的に異なるのだ。学生のうちは、勝敗は、錯覚資産など関係なく、かなりの部分、実力だけで決まる。しかし、社会人になったら、錯覚資産を持つ者は、人生はイージーモードの神ゲーになるが、錯覚資産を持たざる者は、人生はハードモードの糞ゲーになる。(P.72) 

 もちろん、自分自身に対する思考の錯覚にも要注意だ。たった1回の成功で「俺って有能」と思い込むと、大火傷を負う可能性だってある。

 一方で、「どうせ私は無能だから……」と落ち込んで、転職や新しいチャレンジに臆病になるのももったいないことだ。

 人生は、選択の連続だ。その際に、ハロー効果をしっかりと取り除いた状態で正しい判断をしないと、大きな選択ミスを犯すことにもつながりかねない。

「ハロー効果」という認知バイアスがあることをよく理解したうえで、物事を判断し、時にはそれを利用して「あの人って有能ね」と思われる「錯覚資産」を増やす。

 そうすることで、私たちはもっともっと楽に生きられるに違いないのだ。