日本で現在、営業運転を行っているモノレールは総延長の長い順に大阪モノレール、東京モノレール、沖縄都市モノレール(ゆいレール)、多摩都市モノレール、千葉都市モノレール、北九州高速鉄道、湘南モノレール、舞浜リゾートラインの8事業者。合計約114.4キロは世界一である。

 もっとも中国はここ20年、重慶市に重慶軌道交通2号線31.3キロ、3号線67.1キロもの長大なモノレールを建設するなど、猛烈に日本を追い上げている。近い将来追い抜かれることになるだろうが、それでも日本は、世界でもまれに見るモノレール大国であることは間違いない。

欧米でモノレールが
注目された理由

 2本のレールを使う鉄道に対し、1本のレールを意味するモノレールは、鉄道の変形、発展形として1820年代にヨーロッパで発明された。これは高い位置に設けたレールにぶら下げた滑車付きバケットを馬や人間が引く簡素なもので、2本のレールを用いるより小規模かつ安価に設置できることが利点だった。

「未来の交通機関」としてのモノレールは、1872年にフランス・リヨンで開催された万国博覧会で旅客を乗せて会場内を走ったことに始まるようだ。これ以降、モノレールは万博の定番出展物となった。

 モノレールの利点は路面と立体交差する点にある。当時、欧米主要都市では道路上の混雑が問題化しており、既にロンドンでは1863年に世界初の地下鉄、1868年にはニューヨークで高架鉄道が開業していたが、従来式の鉄道では建設の困難さと莫大な工費を要した。そのため、空中を有効利用でき、建設費も比較的安価なモノレールが注目されたのである。

 世界初の営業運転を行った旅客用モノレールは1901年、ドイツのルール地方南部に位置するブッパータールに開業した。これは同国の技術者オイゲン・ランゲンが開発した、客車が桁からぶら下がる懸垂式の「ランゲン式」モノレールであった。このブッパータール空中鉄道は現在も営業を行っている。

 ブッパータールの成功は日本にも影響を及ぼし、1910~1930年代まで上野~浅草間1.8キロを結ぶ「高架単軌道」や深川~北千住間14.3キロを結ぶ「東京単軌鉄道」など日本各地に10以上のモノレール路線の免許申請がなされたが、免許が下りたのは江ノ島電気鉄道(江ノ電)が出願した江ノ島~片瀬間0.7キロが唯一で、これも結局、実現しなかった。