「まだ議論していない」企業も
三つのメリットと二つの課題

  リクルートマネジメントソリューションズの白井邦博シニアコンサルタントによれば、「人的資本情報の開示には三つのメリットがある」という。

 一つ目は、「企業の方向性の明確化」だ。

 人的資本について定量的に測定したり、変化の度合いを見たりする仕組みや体制を作れていない企業もまだ多い。義務化を機に、自社が人的資本に対してどれほど投資できているか、人材の何にこだわり、企業として何を目指すのか。人的資本の情報整理をすることで、それらを改めて確認しながら企業成長のベクトルを明確化できる。

 二つ目は、「株主や投資家に対して行う広報活動(IR)や、採用活動での差別化」だ。

 今後、人的資本情報を基に、投資家や求職者がその企業の優位性について他社と比較する機会が増えていくだろう。人的資本に基づいた企業としての強みを明確にできれば、投資家や求職者に対して自社の魅力をアピールするツールとして使える。

 三つ目は、「社内における人事部の影響力アップ」だ。

 人事部が社員研修や人材開発に取り組んでいるといっても、それが業績や優位性にどれほど貢献しているのか曖昧な部分も多く、企業によって人事部の影響力に強弱がある。今後は、社内外に人的資本情報を発信していくのが経営戦略上の重要ポイントとなるため、改めて人事部がその部分で主導していければ、経営戦略を実現するための役割としての人事部の価値が社内で高まっていく。

 こうしたメリットはあるものの、一方で二つの課題がある。

 大手企業では、すでに統合報告書、サステナビリティレポートなどで、今回求められるような人的資本情報は投資家向けに可視化、定量化していることが多い。過去の蓄積が少ない中小企業のように、あわててデータを整理しなければならないといった悩みはほとんどない。

 では何が悩みの種かというと、「開示に向けたストーリー作り」で、これが一つ目の課題だ。

 企業には、理念や存在意義(パーパス)があり、それを実現する経営戦略があり、そのための人材開発方針というものがある。それらが一貫して一つのストーリーとして世間に伝わるのが理想だが、現実はそううまくいかない。経営企画部と人事部が連動して人事戦略を考えるといった企業はまだ少ないからだ。経営戦略は経営企画部、人事戦略は人事部や最高人事責任者(CHRO)が考える。そんな縦割りのケースも多い。

 また、二つ目の課題として「経営陣と現場(管理職もしくは異なる部門間)の温度差」がある。

 少子高齢化の中で日本の労働生産人口が減少することを見越し、経営陣が人材確保のため、人的資本経営における自社の強み、競争優位、今後の人材開発などについて積極的に議論している企業もある。その一方で、部門ごとに人材開発方針がバラバラで「経営陣と現場の全社で議論したことがない」とか「社長が代わったばかりでまだそうした話はしていない」というように、対話の場を持てていない企業もある。