安倍元首相の事件から7カ月
菅前首相の心境
菅 正直言って、「亡くなった」という事実を正式に受け止めきれていない部分があります。全部受け止めるということは、なかなか簡単ではないのかなと思います。それだけ私にとって存在が大きかったんですよね。
田原 国葬の時の、菅さんの弔辞がとても良かったですね。あれは素晴らしかった。
菅 ありがとうございます。
田原 あの時に、菅さんが、伊藤博文が殺害された後の山県有朋の心境をお読みになりましたね。
菅 立場が違いますが、いつの時代も同じなのかもしれませんね。
田原 安倍さんとのやりとりで印象的なことがあるんです。2018年9月の自民党総裁選で3選した時に、安倍さんとお会いしたのですが、やりとりの中で、「田原さん、『ポスト安倍』は誰がいいと思う?」と尋ねられたんです。「本気ですか?」と聞き返すと、本気も本気、真剣だと言うので、僕は「菅さんがいいと思う」と答えた。
なぜそう思うかと聞かれたので、あなたと違って世襲議員ではないし、あなたと違ってエリートでもない。働きながら大学を出た苦労人で、他人の足を引っ張ったりすることはないだろう。何よりあなたはすでに菅さんを信頼して、ずっと官房長官を任せてきた。だから僕は絶対に菅さんがいいと思う。こう伝えたんです。すると安倍さんは「その通りだ」と。
なぜ菅さんは安倍さんにそこまで信頼されたのだと思いますか?
菅 信頼されたというよりも、安倍さんが私をうまく使ってくれたんですよね。
田原 どういうふうにですか。
菅 安倍さんが当時、官房長官で人気が絶好調の時に、「再チャレンジ支援議員連盟」(※)というのをつくってくれないかと頼まれたんです。
当時、まだそれほど私は安倍さんと親しくなかったので、なぜ私なのだろうと思いましたが、そのように若手を横断的にまとめるのは得意中の得意だったので、一挙に90数人の議員連盟をつくったんですね。
すると、安倍さんにはかなわないという雰囲気が急速にできて、安倍晋三の総理の道が開けた。そしてそのまま総裁選を勝ち、第1次安倍政権が生まれました。
その時もそうですし、第1次安倍政権でさまざまな法案を成立させたのですが、なかなか世間に評価されませんでした。そうこうしているうちに持病が悪化して退陣するわけですが、私は当時、安倍さんから退くことを知らされていなかったんですよ。
でも退陣後、もう1回、安倍政権をつくりたいと思い、1カ月に1回くらい安倍さんに会いに行きました。
田原 菅さんが非常に勧めたことで、第2次安倍政権の発足につながったと聞いています。
菅 私は思い切って勧めましたから。やはり安倍晋三という人は、政治家として国家観をしっかり持っていて、懐が深くて、経歴にしても、私にとっては憧れの政治家でした。ですので、もう1回やりましょうと。