安倍首相と岸田首相、
菅義偉から見て大きく異なる点は?
菅 「手法」でしょうね。
田原 例えばどのような手法ですか?
菅 安倍さんは、何をするかを掲げてから一挙に進めますが、岸田さんは、掲げてから様子を見ながら慎重に進めていく、そのような印象です。
田原 安倍さんは目標を掲げて明確に実行した。それに比べて岸田さんは度胸がないのかな。
菅 それはわかりませんよ。
田原 安倍さんは賛否があれど、何をやりたいかはわかりやすかった。でも岸田さんはそこがよくわからないと言われますね。マスコミの間では、どうも菅さんは岸田さんをよく思っていないのではないかと、こういうふうに書かれていますが。
菅 そんなことはないですよ。
田原 菅さんから見て、岸田政権はどう思われますか?
菅 私は論評する立場にはありません。でも、総理大臣というのは、当然、それは大変なものです。毎日毎日が緊張感を持っての戦いです。そこは大変頑張っていらっしゃると思いますよ。
田原 総理大臣をおやりになって、何が一番大変でしたか?
菅 やはり「判断」じゃないでしょうか。総理大臣は誤った判断ができないですからね。常に情報を集め、判断に備えていく。判断の連続でした。
田原 首相在任中を振り返って、成し遂げたことと、成し遂げられなかったことは何ですか?
菅 私はやはり、国民の食いぶちを作るのが政治だという思いがあって、それを「グリーン」と「デジタル」で考えています。
その中でまさに、カーボンニュートラル、脱炭素化社会をめざし、そしてデジタル庁をつくって日本のデジタル社会の遅れを取り戻す。この2つを成長のキーワードにしました。
所信表明演説で2050年カーボンニュートラル宣言を行い、研究開発のために2兆円を積んで取り組みを開始しました。デジタル庁も多くの方の協力の下、約1年で発足させることができました。
「もう限界だ、世界から置いていかれる」
カーボンニュートラル宣言時の心理
田原 このままいったら地球が破滅すると、2015年11月に先進国がパリに集まり、温室効果ガス削減に関する国際的な取り決めを話し合った(国連気候変動枠組条約締約国会議/COP)。そこで、世界の平均気温の上昇を1.5℃以内に抑えようと合意したのがパリ協定ですね。
しかし、日本は石油や石炭などの化石燃料に頼って成長を進めてきたため、脱炭素化が遅れていると言われていました。米国も離脱したり復帰したりと混乱が続いた。ところが菅さんが所信表明演説で、カーボンニュートラルをやるんだと。あの宣言にはどのような背景があったのでしょうか。
菅 私はここでやらないと、国際的なルール作りから置いていかれると思ったんですよ。もう限界だと。それで思い切って宣言をしました。
ただ、宣言をするのは誰だってできます。ですから、技術開発支援のための基金を新たにつくって、2兆円を積んだんです。財務省は1兆円が限度だと言ったのですが、私は絶対に引かずに2兆円だと。
なぜなら当初、カーボンニュートラルには経済界はだいたいが反対でしたから。その経済界を動かし、研究や実装などの呼び水にするには、政府の本気度を示す必要がありました。今はもう、どの分野も脱炭素化社会へ向き始めていると思います。
田原 なるほど。
菅 また、せっかく総理大臣になったのであれば、コロナ対応はもちろんのこと、長年の(日本が抱える)課題について、議論がなかなか進まなかったもの、議論の段階が終わったものについて、私が決着をつけてやるんだ、法改正できるものはして、成長させるものは成長させる、こうしたことを官房長官の頃から引き継いで、一挙にやりました。そこはそれなりにできたのかなというふうに思ってます。
そういう意味では、例えば地方創生や、その柱としてインバウンドに力を入れましたし、創設したふるさと納税もだいぶ浸透しました。農林水産品の輸出額も最高になりました。
官房長官の時から発言していた、携帯電話料金の引き下げ、これも総理大臣の時に、ようやく大手3社も動き始めましたし、不妊治療の保険適用や、先送りされていた福島の処理水の海洋放出の決定、そして、東京オリンピック・パラリンピックの開催も招致国としての責任を果たすことができたと思っています。
田原 農林水産品の話が出ましたが、日本の食料自給率は今、だいたい3分の1です。こうした状況において、どうも、農業の自由化(※農産物の輸入の数量制限などをなくすこと)や機械化に関して、農協が反対といいますか、積極的ではない印象があります。