日本の金融政策はどうして行き詰まったのか
現在、わが国の金融政策に関する問題はかなり複雑化している。1990年代初めに資産バブルが崩壊して以降、わが国経済は長期停滞に陥った。わが国は構造改革の推進よりも、金融緩和を強化することによって景気の浮揚を目指した。
95年以降、無担保コール翌日物の金利は0.5%程度で推移した。すでに緩和的な金融環境下、97年には金融システム不安が起きた。日銀は徐々に鮮明となったデフレ経済からの脱却を目指して金融緩和をさらに強化した。
99年2月には「ゼロ金利政策」が開始され、2000年8月にいったん解除された。それでも景気は上向かず、01年3月には量的緩和策が開始された。その後、米国の住宅バブルの発生などによって世界経済は上向いた。06年には一時的に量的緩和策が解除された。
しかし、リーマンショック後、世界経済の低迷などによってわが国の景気停滞は深刻化した。13年1月に日銀は政府との“アコード”を結び、「デフレ脱却と持続的な経済成長の実現のために連携する」と宣言した。このとき、日銀の独立性は低下したといえる。同年4月に「量的・質的金融緩和」が開始された。
過去30年近くの金融政策に一貫するのは、日銀が長い時間軸をもって金融緩和を強化するスタンスをより鮮明にしたことだ。これにより主要投資家の金利上昇不安は和らぐ。加えて、日銀は、社債、株式ETFや不動産投資信託(J-REIT)などリスク資産も購入し、投資家のリスクテイクを上向かせようとした。
さらに、国債買い入れの増加によって、事実上、金融政策は財政ファイナンスに踏み込んだ。そうした状況下、一時、国内の景気が上向き、構造改革の推進機運が高まる場面はあった。
しかし、政府は構造改革の推進よりも日銀による一時的な需要喚起を優先し、金融政策の持続性は低下している。多くの投資家は金利の上昇に慣れていない。