「見た目は変で、しゃべりも下手、お笑い芸人としての才能もない」と思いこみ、コンプレックスのかたまりだったスリムクラブ・内間政成さんは、そんな自分を人に知られないように、自分の本心を隠し、見栄を張って、いつわりの人生を送ってきました。しかし、それはどうしようもなく苦しかった。自分で自分を否定しているようなものですから。
ある出来事をきっかけに、内間さんは自分自身と向き合い、自分という存在を少しずつ受け入れられるようになっていきます。その結果、何が起きたのか。今まで自分の欠点だと思い込んでいたことが、そうじゃないことがわかってきました。自分の欠点を「欠点だ」と決めつけているのは、他の誰でもない、自分自身だったのです。
「僕はカッコ悪い」「僕は人をイラつかせる」「僕は恐れ過ぎている」「僕はすぐ調子に乗る」「僕は怠け者」と、自分の欠点をさらけ出せるようになった内間さんはいま、ストレスフリーの時間を楽しそうに生きています。そんな内容の詰まった本が、内間政成さんの書籍『等身大の僕で生きるしかないので』です。無理やり自分を大きく見せるのではなく、等身大の自分を受け入れれば、人生は好転する。そのためのヒントを語ってもらいました。(構成・田中幸宏/撮影・榊智朗)
ポーカーフェイスをよそおってたのがバレバレだった
僕は欠点だらけの人間です。それを隠したいという気持ちも人一倍強かった。本当の自分が恥ずかしかったからです。どこか人より劣っているという感覚がずっとあって、隠そう隠そうとしてきました。無意識レベルの防御反応が働いたという感じです。
欠点を隠すために、まずやったのが「冷静なふりをする」ことです。本当は心臓バクバクで緊張しているんですが、それを隠したいので、できるだけ無表情でいようとしていました。だから、「何を考えているかわからない」とよく言われました。感情表現が下手クソになっていったのは、本当の自分を見せたくなかったからです。
いつもムッツリと押し黙っているから、みんなの輪にも入れません。自然な会話が成り立たないからです。自分ではうまくやっているつもりでしたが、まわりの人たちにはけっこうバレてて、「あいつ、壁作ってるな」と思われていたそうです。でも、友だちだから、あえて指摘しない。「あいつのやりたいようにやらせてやろう」というわけです。それもやさしさですよね。
でも、あるとき相方(真栄田賢さん)にズバッと指摘されました。「おまえのその態度、まわりの空気を壊してるぞ、みんな気を遣ってるんだよ」と。そう言われて恥ずかしくなりました。無理に感情を作り込むのではなく、自然な気持ちで話そうと思いました。感情を覆い隠すのではなく、喜怒哀楽を素直に出していきたいなと思ったのです。
もう1つは、さっきと逆で、何があっても「つねに笑う」ということです。それも自分のストレートな気持ちを誤魔化すためなんですけど、笑って余裕を見せたかったんでしょうね。そうすると、「よくこんな状況で笑ってられるな」と言われたりするわけです。どちらも、人に本当の自分を知られるのが怖かったからです。
「ありがとう」を言ったら負けだと思っていた
僕が自分の気持ちをストレートに表現できなくなったのには、理由があります。お袋の存在です。うちのお袋は思い込みが強くて、僕が何を言っても聞き入れてくれなかった。添加物の入ったものは一切食卓にあがりませんでしたし、15歳までテレビも禁止でした。ストレートに訴えかけてもお袋には太刀打ちできないから、どうにかお袋を納得させようと、どんどん遠回しの表現になっていったし、お袋から何を言われてもどんどん無反応になっていきました。
お袋とは家に帰れば毎日接しているわけですから、いつのまにか自分のフォームが「対お袋仕様」になってしまう。自分の中では、家から出たら素直なコミュニケーションをとっているつもりだったのですが、ストレートに感情を出さないことが当たり前になってしまって、いつしか感覚が麻痺してしまったのです。
だから僕は、「ありがとう」という簡単なお礼さえ、数年前まで口にすることができませんでした。「ありがとう」というのは、自分の中では気持ちのいい言葉ではなかったんです。相手に「ありがとう」と言うことで、自分の落ち度を認めているような気がしたからです。
それくらい、人より自分は劣っていると思っていました。つらかったけれども、たぶんみんなもきっと同じだと、無理やり自分を納得させようとしていたんです。でも、それがひねくれているということに気づきました。そのきっかけも、相方との会話でした。
自分の性格は簡単には変えられない。だったら、もう自分のままでいいやと。いったんそう受け入れてみると、前より人が怖くなくなった。というか、前より人が好きになってきたんです。だから、いまは人と話すのが楽しくなりました。感情表現も素直にできるようになって、無理に笑わなくても自然と笑うことができるし、「ありがとう」も言えるようになりました。
自分を正当化するためなら何でもする
もう1つ、自分の欠点を隠すために「誤魔化す」こともよくありました。とにかく自分が悪者になりたくないから、誰かのせいにしたり、辻褄の合わない嘘をついて、かえって自分の立場を悪くしたこともありました。
東京に出てきたばかりの僕には仕事が全然ありませんでした。「だったら自分でライブを立ち上げたら」と言ってくれたのが、沖縄でお世話になった芸能事務所の代表の方で、資金も援助してくれたのです。その申し出を喜んで受け、自分たちでライブハウスを借りて隔月でライブをやったものの、3回目以降からお客さんの数も減って、演者も集まらない。ネタもなあなあになってきて、心のどこかで「もう辞めたい」と思う自分がいました。
それを相方に相談したら、「そんな中途半端な気持ちだったら辞めたほうがいいだろ」と言われて、「たしかに!」と思いました。自分が言ったんじゃない、相方が言ったから辞めることにしたんだと、自分で自分を誤魔化したのです。完全に責任逃れの言い訳です。
しかも、ライブを辞めるという話を、お世話になった代表にではなく、ライブハウスの支配人に先に報告したのです。どこかに逃げたいという気持ちがあったからだと思います。それを知った相方は、「報告する順番が違うんじゃない? どっちが先だと思う?」と聞いてきました。僕はとっさに「同時ですかね」と答えていました。物理的にありえないし、本当に恥ずかしい誤魔化しでした。
自分のミスや欠点を笑いに昇華する
そんな僕がいま、自分の恥ずかしい過去を人前で話せるようになったのは、芸人だったということも大きかった。自分のバカさ加減も、ドジ話も、全部ネタになるからです。芸人だったから救われたというのは、たしかにありました。自分の「罪」というか、自分の失敗や欠点まで笑いにできるんだということ自体が発見でした。
笑いにするといっても、別に大げさに話を盛るわけではなく、ただ、起きたことを淡々と話しているだけなんですけど、その起きたことの意味合いを決めるのは自分です。何でも悪いほう、悪いほうに考えてしまうと、自分の失敗をさらけ出すのが怖くなってしまうけど、しゃべってみると、人は案外、笑ってくれるものです。自分の話を聞いた人が、「そんなの、全然たいしたことないじゃん」と言ってくれたら、「え? そうなんだ、自分の中ではけっこう重くとらえてたよ」と気づくこともある。それによって救われたことも何度もありました。
これって別に、芸人に限った話ではないと思うんです。自分の失敗や欠点を笑い話にしてあえて人に言ってみるというのは、誰でもできることだし、実はとても有効な方法だと思います。真面目にとらえすぎて、自分一人で抱え込んでしまうと、自分がどんどん苦しくなってしまうけど、それをあえて口にして、いろんな人にシェアすることで、みんなに笑ってもらえば、気持ちが楽になります。
ミスをしてどんよりした気分にまわりのみんなを引きずり込んでしまうより、いっしょに笑ってしまったほうが気分はいいはず。それによって救われるのは、自分だけではなく、まわりの人たちもハッピーです。欠点やミスは、隠すのではなく、笑いにしてしまう。笑って成仏させたほうが何倍もいいと思います。
芸人。スリムクラブ ツッコミ担当
1976年、沖縄県生まれ。2浪を経て、琉球大学文学部卒業。5~6回のコンビ解消を経て、2005年2月、真栄田賢(まえだ・けん)とスリムクラブ結成。「M-1グランプリ」は、2009年に初めて準決勝進出。2010年には決勝に進出し準優勝。これをきっかけに、人気と知名度が上昇。「THE MANZAI」でも決勝進出。2021年1月、「2020-2021ジャパンラグビートップリーグアンバサダー」に就任。