太平洋戦争が始まってから、2年あまりが経っていた1944年。戦況はアメリカ優位に形勢逆転していた。開戦当初こそ、苦しい戦いが続いたアメリカだったが、ミッドウェー海戦、ガダルカナル島を巡る攻防に勝利。アリューシャン列島を占領し、ニューギニアも制圧する勢いだった。物量と兵器の差で圧倒し、国力の違いを見せつけるアメリカ軍は、日本本土へと着実に迫っていた。

 この頃、アメリカ軍は、日本の支配地域を3つにわけて、地域ごとに作戦司令官を置いていた。南西太平洋方面は、陸軍のダグラス・マッカーサー大将。陸軍参謀総長まで歴任した重鎮だった。中部太平洋方面は海軍のチェスター・ニミッツ大将。太平洋艦隊司令長官を務めていた。中国方面は、陸軍のジョセフ・スティルウェル中将。国民党軍を支援して多くの日本陸軍を中国に釘付けにする作戦を展開していた。

 マッカーサーとニミッツは、陸・海軍の威信をかけて、どちらの軍が早く日本本土へ上陸できるか、競い合っていた。この2人の関係は、公の場でののしり合うほど険悪で、犬猿の仲だとよく知られていた。そのため、互いに調整することなく、独自の作戦を展開していた。

マッカーサーとニミッツも
B-29を欲しがったが…

 こうした中で、航空軍が戦果を上げるには、B-29を使って日本本土を直接爆撃するしか方法がなかった。そのための拠点として、アーノルドが目を付けていたのが、マリアナ諸島だった。サイパン島、グアム島、テニアン島からなるマリアナ諸島は、日本から往復で約4800キロメートルの距離にある。航続距離5000キロメートルを超えるB-29ならば、日本本土のほとんどを射程圏内におさめることができた。是が非でも手中に収めたかったマリアナ諸島。アーノルドは、統合参謀本部で、日本軍が統治していたマリアナ諸島の占領を訴えていく。

「我々の主張は、B-29の基地としてマリアナを占領してほしい。そうすれば、日本本土に対して、直接、戦略的な爆撃を行うことができるというものだった」(ヘイウッド・ハンセル、肉声テープより)