低空を飛べば、B-29を苦しめていた厚い雲も、ジェット気流の影響も避けることができた。しかも、エンジンへの負担も少なくなる。エンジントラブルが減れば、多くの機体が運用でき、大部隊を編成できる。さらに、低空飛行は燃料の消費を抑えられるので、その分だけ多くの爆弾を搭載することが可能になる。
多くのメリットがある一方で、大きなデメリットがあった。敵の反撃を受けるリスクだった。
「私は、部下がどのような反応を示すのか知るために、出し抜けに何人かに作戦を説明してみた。賛成する者もいたが、大部分は『それは自殺行為だ』と反対した。特にヨーロッパで飛行経験があった者は、低空飛行に対して拒否感が強かった。大きな賭けだという人もいたが、人の命を賭けるようなことはしない。私はこの件を、みなと話し合って、あらゆる角度から考えた。そして、最終的にやれるだろうと判断して決断したのだ。計算されたリスクは取るが、賭けではない」(カーチス・ルメイ、肉声テープより)
日本のレーダーの精度が低く
夜間ではあまり機能せずと判明
ルメイは、情報部から“日本の戦闘機部隊は脅威を与えるほどの能力ではない”という情報を得ていた。恐れていた高射砲についても、部下たちから寄せられる報告を基に、レーダーなどの精度が劣っているため、悪天候や夜間ではあまり機能しないことがわかっていた。
ルメイは、こうした情報を基にして、リスクを最小限に抑えるために作戦は夜間に決行することにした。夜間に飛行するとなれば、編隊を組むことは不可能だったため、単独爆撃となった。編隊を組まなければ、燃料も節約できる。焼夷弾を用いた空爆作戦の方針が決まった。
「私たちは、日本に焼夷弾を使えないかと常に考えていた。唯一残された手段が焼夷弾だったからだ。そのために予備実験も行って、焼夷弾の効果についてデータを集めていた。焼夷弾爆撃を有効に行うには、400機近くで大規模に行わないと成果が上がらないことが明らかだったが、それが集まることがわかったので実行することができた」(カーチス・ルメイ、肉声テープより)
ルメイの爆撃計画は、それまで航空軍が行ってきた超高高度からの昼間精密爆撃とは、理念も方法も、まったく異なるものだった。どうしてルメイは、従来とは違う爆撃方法を決断できたのか。解任の憂き目に遭ったハンセルは、ルメイの決定について、肉声テープの中で次のように振り返っている。
「低空でB-29を使うという作戦は、完全にルメイ一人の決断だったと思う。よく質問されることだが、私が同じ決断を下していたかと聞かれれば、率直に言ってその答えは『否』である。対空防御網の十分な知識もなしに、低高度で侵入することは非常に危険で勇敢なことだと思う。そして、その決断は、結果的には正しかった」