「私たちは、東京を空爆したあと、とにかく可能な限り早く他の都市を爆撃した。日本軍が低空の対空砲火を準備するなどの対策を考えて反撃してくる前に、徹底的にやりたかったからだ。だが、爆撃を中止にした。なぜだかわかるか?」

「(インタビュアー)いいえ、わかりません」

「焼夷弾が切れたからだ」

 ルメイは10日間にわたる都市への空爆で、焼夷弾192万発を使用。備蓄していた焼夷弾をすべて使い切ってしまったのだ。ルメイは、兵站を担当していた海軍をけしかけ、焼夷弾の補充を急がせたという。

「私たちは、海軍のニミッツに『これまでの4倍出撃する』と伝え、煽りました。『爆弾がなければ釣りをするしかないが、いいのか』と。兵站を担当する海軍の人間が、大慌てで準備してくれたので、ほぼ1カ月で補充できた」(肉声テープより)

アーノルドからルメイへ
空爆継続促す手紙

 およそひと月後、ルメイは大都市への焼夷弾爆撃を再開する。

 なぜ、ルメイは、“これ以上、殺戮行為をしたくない”と感じながらも、焼夷弾爆撃をやめられなかったのか。伝記作家のウォーレン・コザックさんは、ルメイにはやめることができない、ある理由があったのだという。

「東京大空襲のあと、アーノルドからルメイに送られた“おめでとう。どんなことでもやってのける度胸がある”という言葉は、額面通りの祝福を意味する言葉ではありませんでした。それは、ルメイに“他の都市を焼夷弾で攻撃し続けろ”という作戦への青信号、GOサインでした。そのまま作戦を続けろ、大丈夫だという意味だったのです」

 東京大空襲の結果こそ、望んでいた戦果だと喜んだアーノルド。日本との戦争で航空軍が存在感を示す方法を、ついに手にしたと考えていた。このあとアーノルドら航空軍は、B-29を使った焼夷弾による無差別爆撃を戦略の柱に据え、一般市民を犠牲にする非人道的な空爆を繰り返すことになる。