また、私たちは、幸いにして言論の自由が憲法によって保障されている国に住んでいます。世界には言論統制が激しい国もあるなか、そんな恵まれた環境に感謝しつつ、もっと自由にものを考え、意見を表明してもいいのではないでしょうか。
自分は自分です。そして他人は他人です。もちろん誹謗中傷は論外ですが、自分の意見が誰かを傷つけるかもしれないなどと気にする必要もないでしょう。
意見をもつことをもっと柔軟に考えていいといったのは、こういうことです。
そのときどきに自分なりに一生懸命考えて、「今はこう思っている」という意見をもてること自体に価値があると考えてください。口に出すことに抵抗があるのなら、とりあえずメモ帳などに箇条書きで書き出してみるだけでもかまいません。
自分と正反対の意見にも
理由付けをしてみる
では実際、意見形成できるようになるには、どうしたらいいでしょうか。
先ほど、まず1つの立場に立ってみないことには、何も始まらないと述べました。
ただし、このポジション・テイキングは「なんとなく」ではいけません。「なんか嫌だな」「なんかいいな」という直感だけでは、何も考えていないのと同じです。
自分の感覚を無視しようということではありません。実際、感覚が思考の出発点になることもあります。
しかし、あくまでも意見とは、知識や情報に裏付けられた思考に基づくべきもの。「なんとなく、これが正しい気がする」といった感覚的なポジション・テイクは、意見といえないのです。
そこで、自分の意見をつくるトレーニングとして、おすすめしたいことが2つあります。
1つは、自分が正しいと考えることと、その正反対の意見の両方に理由付けをしてみること。
たとえば、「労働力確保のための移民の受け入れ」「原発再稼働」などの社会的課題について考えるとき、「賛成派の理由は何だろう」「反対派の理由は何だろう」と考えてみる。だいたい3つも理由を挙げることができれば、自分なりにポジション・テイクできるはずです。
いわば両方の主張を自分のなかで戦わせる「脳内ディベート」をすることが、いずれかのポジションを選択して自分の意見を明確にする練習になるというわけです。
また、ここで挙げた理由付けが、後から再考する際の検討材料にもなります。感覚的なポジション・テイキングをしていると、再考しようにも検討できる材料がないので、思考を発展させることができないのです。