気風の良さが評判だった父による、まさかの遺産独り占め宣言!?
父の「俺が稼いだ給料から貯めた金だから、もとはといえば俺のもの」という理屈はわからないわけではありません。
しかし、それでも母が質素倹約、コツコツとやりくりをして貯めたお金であることに変わりはありません。母の遺産である以上、民法の相続の原則に従えば、配偶者である父に2分の1、残りの2分の1を子どもである私と弟が分けるということになるはずです。
ところが、父は断固として「俺のもの」を譲りません。私は?然として言葉も出ませんでした。
父は、その頃になると田畑、山林、金塊など、かなりの財産を所有し、住んでいる家から自分の地面を通らないで駅まで行けないとまで豪語していました。ポケットにはいつも札束を入れ、人を見ればチップを渡す気前の良さ、気風の良さが地元で評判でした。
ですから母の遺産が見つかったときも、てっきり私たち姉弟に「お前たちで半分ずつ分けろ!」と言ってくれるものとばかり思っていました。
ところが、現実はまったくの逆。「全部俺の金。お前たちには一銭も渡さない」という言葉に、私は「父っていったいどういう人?」と、すっかり父のことが怖くなりました。
親子といえども、少しの甘えも許されない。今後は徹頭徹尾、無欲で生きていこうと思った、私の原点ともいうべき出来事でもあったのです。
なぜ、おばちゃん社長は、無茶な「相続放棄」を迫られたとき
抵抗することなくサインしたのか?
相続税の申告期限が間近に迫ったある日、私と弟は父に会社へ呼び出され、「これにサインしろ」と書類を差し出されました。それは、私たち姉弟が母の遺産を放棄する旨の書類でした。
さすがに父も、ただ「俺のものだ」と主張するだけで、母の遺産を自分のものにできるとは考えていなかったようです。子どもにも遺産を受け取る「権利」はある。それはわかっていて、父のカバン持ちの司法書士に依頼して、私と弟が「相続放棄」をする書類を作らせたわけです。
私は抵抗することなく、すぐにサインしました。
というのは、当時の私は子どもを二人抱えて離婚したばかりでした。なんとか会社で働かせてもらって生活していたというのが実情でした。
私の給料は、自社株の譲渡代金を天引きされた後でも手取りは50万円でしたから、かなりの高給でした。しかし、もし追い出されでもしたら、同額の給料などもらえるわけはなく、それどころか働ける当てすらなく、暮らしていけなくなります。
また、早くから跡継ぎは弟と決められており、母亡き後の私は、会社での自分の居場所を見つけられずにいました。ですから、この父の独善的な相続放棄の提案にも、逆らわずに従うしかないと思ったのです。
働く場=平鍛造を追い出されないため、息を殺して存在感を消す。というのが私の心構えでした。