元メジャーリーガー・上原浩治氏の
マネジメントを担当
スポーツマネジメント会社に入社して実際に業務がスタートすると、苦労しながらも自ら考えて仕事を作っていく作業に大きなやりがいを感じたという。
就職した会社は決して大きな会社ではなかったため、自分で考えて動くことが求められた。営業でのアプローチや最優先に行うべき業務、多くの作業をこなすためには何が必要かを常に考えながら、目の前の業務に取り組んだ。
「周りによく言っていることが、僕のコンプレックスは大手の会社で働いたことがないことなんですよね。教えてもらうより、自分で考えてやることの方が多くありました。任されたポジションで一生懸命やるだけでしたね。ただ野球で学んだ、課題に対してどう解決するか。自分で考えてやってきたことが活きたと思います」
多忙の中にも、やりがいを感じていたスポーツマネジメントの仕事。そしてここでは、のちに独立へとつながっていく大きな出会いもあった。元メジャーリーガーの上原浩治さんのマネジメントを担当することになったのだ。
担当となったのは2008年。当時の上原さんは、アメリカで世界最高峰のプレーヤーたちとしのぎを削っていた。澤井さんは、上原さんがこれまで積み上げてきた価値を落とさないようにすることを心掛けながら、業務に当たったと振り返る。
「失敗もいっぱいしましたし、迷惑を掛けたこともいっぱいありました。でもやっぱり上原さんの『鞄持ち』になったら意味がないと思ったんです。あの人に信頼される、相談される立場になるために、自分(の価値)を上げなきゃいけないと思っていました。
そのためには、やっぱり自分が成長せなあかんし、自分はこう思いますと自信を持って言えなきゃいけないと思いました。だからこそ、自分は大学院(早稲田大学大学院)にも行って勉強したわけです」
上原浩治さんの一言で独立
トップ選手からの刺激も糧に進む
上原さんを担当して3年目になる頃、メジャーリーグの世界から刺激を受ける中で、スポーツマネジメントの世界でどのような方向性で活動していきたいのかが、澤井さんの中で明確になってきた。
スポーツの価値を、どのように社会に提供していくか。それを社会に出る前の学生たちとアカデミックな場でもう一度学びたい。そう考えた澤井さんは、2013年4月に早稲田大の大学院・スポーツ科学学術院に入学した。そして6月に退職することを決断した。そこで、そのことを上原さんにも報告に行く。
だが、そこで掛けられた言葉は思いもよらぬものだった。