1927年、上野─浅草間にわが国で初めての地下鉄、銀座線が走り、その3年後の1930年に地下鉄上野駅の地下に「上野ストアー」が誕生した。上野公園の西郷隆盛像の下の地下鉄乗車口から車坂まで、全長500mの地下道ができ、その両側に食料品店や雑貨店などが並んだ。これが日本で最初の地下街とされる。1932年以降、同じく銀座線の須田町、室町、日本橋、銀座、新橋に地下街ができた。
一方、大阪では地上の交通混雑緩和で地下商店街が形成されていった。梅田駅や難波駅周辺は混雑が激しく、バイパスをつくるのも難しかったため、車は地上に人は地下に、と考えられたのである。1957年に難波地下街(現NANBAなんなん)が開業、これが最初の本格的地下街とされる。次いで、1963年に梅田地下街が開業した。
このように、高度経済成長期に日本各地で次々に地下商店街が生まれた背景には、都心の地価の高騰が挙げられる。地価の高騰により、地下空間をより有効的に活用せざるをえなくなったのである。
もちろん、それだけの店舗需要があったからで、公共民間が一体となって事業を推進させたことが、地下商店街を急速に発展させたといえる。