「私は辞書の編纂者として、言葉の正誤は客観的に決めにくいと発言しています。それで、『飯間は言葉をどう使ってもいいと考えている』と受け取られることもあります。でも、それは誤解でね。日本語で意味を正しく伝えるための文法や、語句の選び方はもちろんあります。『本を読む』と言えば通じますが、『を読む本』と言っても通じません。『以下』と『未満』も取り違えると大変なので、学校できちんと教えられます」
このように日本語を使う人々の大部分が持っている共通ルールを踏み外していないかどうかが、言葉を選ぶにあたって必要なポイントだと、飯間氏は言う。
「ただ、ネットなどでよく話題になる言葉の正誤というのは、『を読む本』のように言葉の伝達に支障をきたすものではなく、『両方言うよね』というようなものが大半なのです。両方の言い方を知っておき、場面によって使い分ければいい。そんな言葉ばかりが議論になっている印象です」
飯間氏が指摘するのは、例えば、冒頭の「了解しました」と「承知しました」の論争などである。
「激しい議論になるということは、どちらの言い方にも一定の支持者がいるということです。『了解しました』は嫌いだ、と言う人の前でわざわざ使う必要はありません。一方、言葉の歴史を見ても、『了解』『承知』ともに失礼な要素はないのです。『了解いたしました』のように語尾を丁重にすれば、敬語としては十分です」