「パーパス」を、全社員が明確に持っていた

 当時の第二電電企画は、東京・用賀にあった京セラの東京中央研究所の5階の一室がオフィスでした。メンバーは稲盛さんの元に集まった元電電公社の人たち数名と、京セラから来た数名、それから新入社員9名。

 KDDIグループは今、4万9000人の組織になっていますが、始まりは20人ほどだったんです。まさに、小さなスタートアップベンチャーです。

 ただ、京セラを率いていた稲盛さんが会社を立ち上げ、「では、あとは頑張れ」ということにはなりませんでした。「オレがやるからついてこい」というのが、稲盛さん流でした。

 当時、社長を務めていた元通産省の森山信吾さんからも、毎週のように「新入社員は社長室に集まれ」と声をかけてもらい、夕方から酒盛りをして、いろんな話をしてもらいました。もう亡くなられましたが、本当に器の大きな方でした。実は僕は社内結婚第一号で、森山さんに仲人をしてもらったんです。

 夕方からの酒盛り、京セラでいうコンパには、稲盛さんもときどき加わりました。そこで聞いたのが、「動機善なりや、私心なかりしか」の話でした。

 自分は京セラが得た利益を使って新しい事業に挑戦する。京セラの従業員に、こんなことをやらせてくれと頼むにあたり、動機は何かをとにかく自分に問うた。自分の利益を考えた私心のためでなく、日本の通信料金を下げるためにやるのだ。それは間違いないことかと、ずっと自問したのだ、と。

 後に会社はどんどん人数が増えていき、稲盛さんからの講話がときどき行われることになりましたが、必ずあったのが、この「動機善なりや、私心なかりしか」の話でした。

 自分たちの仕事は、国民の電話料金を安くしたいという真に善なる思いから生まれた。その大義に基づくものであるという話は、当時の社員全員にしっかり根づいていたと思います。今でいうパーパスを、全社員が明確に持っていたということです。