日本の国語教育は「芸事」に近い?

【GW特別企画】現代文のカリスマ講師が「論理とは人間に対する最後の求愛だ」という理由星 友啓(Tomohiro Hoshi)
スタンフォード大学・オンラインハイスクール校長
経営者、教育者、論理学者
1977年生まれ。スタンフォード大学哲学博士。東京大学文学部思想文化学科哲学専修課程卒業。教育テクノロジーとオンライン教育の世界的リーダーとして活躍。コロナ禍でリモート化が急務の世界の教育界で、のべ50ヵ国・2万人以上の教育者を支援。スタンフォード大学のリーダーの一員として、同大学のオンライン化も牽引した。スタンフォード大学哲学部で博士号取得後、講師を経て同大学内にオンラインハイスクールを立ち上げるプロジェクトに参加。オンラインにもかかわらず、同校を近年全米トップ10の常連に、2020年には全米の大学進学校1位にまで押し上げる。世界30ヵ国、全米48州から900人の天才児たちを集め、世界屈指の大学から選りすぐりの学術・教育のエキスパートが100人体制でサポート。設立15年目。反転授業を取り入れ、世界トップのクオリティ教育を実現させたことで、アメリカのみならず世界の教育界で大きな注目を集める。本書が初の著書
著者公式サイト】(最新情報やブログを配信中)

星:出口先生の専門分野である「国語教育」について的を絞ると、これまで日本はどのような教育を行ってきたのでしょうか?

出口:星先生も受験時代に経験したと思うのですが、「芸事」に近いです。

 たとえば、音楽を例にすると、日本の伝統的な音楽、三味線、琴というのは音楽というより芸事です。

 芸事は教えられません。

 師匠に弟子入りをして、厳しい修業のもとに会得する。習得できたら人間国宝です。つまり、その人間そのものに価値があり、再現性はありません。

 国語も同じで、国語の先生は文学部出身が主で、子どもの頃から本が好きでたくさん読んでいる。だからなんとなくわかるけど、自分の読解法を分析して、教えることができない。

 そこで、子どもたちには、「本を読みなさい」「たくさん問題を解きなさい」と伝えるしかない。

 まさに再現性のない授業を繰り返しているのです。

 でも、これでは何の解決にもなっていません。

 しかし、みんながそうだから当然のことだと思い込んでしまう。

 それが今の教育界の現状です。

 ですが、徐々に変わろうとはしています。

 特に、今、団塊の世代が抜けていますので、学ぼうという意欲を持った若くて新しい先生が増えているのは確かです。

星:芸事という比喩が、腑に落ちました。

 なんとなくの感覚を、「見て感じて覚えるべし」というような雰囲気が、私が学生のときに受けていた国語の授業にもありました。

出口:それに加え、現在は国語力を習得しづらい状況ではあります。

 たとえば、私の子どもの頃は娯楽がありませんでした。

 ですから、ある程度物心がついたら、みんな本を読むしか選択肢がありません。

 小学校の高学年頃には、既に芥川や太宰を読んだりしていました。

 一方で、今の子どもたちはマンガやアニメ、ゲーム、最近だとYouTubeなど、他に目を引くものがたくさんあります。

 そういった映像文化は、光と音の刺激でわかった気にさせています。

 こういった文化の中にどっぷり浸かった子どもたちが、無味乾燥な活字を拾って論理を構築することは至難の業です。

 さらには、実際に体験しえない世界や架空の人物を頭の中で構築することもできなくなっています。

 100歳まで生きる時代になってきたにもかかわらず、子どものときから言語活動が乏しいまま大人になっていくことは非常に恐ろしいです。

星:「わかったような気になる」ことは非常に問題ですね。

 勉強でも、「やった感」を得られる勉強法は好まれる。しかし、ノートを30ページ取ったとしても、手の運動になっていたとしても、それが記憶に残っているかはまた別の話です。

 やはり、「やった感が出るもの」に引きずられていると、本質的な学びが抜け落ちてしまいます。