「文学は一体何の役に立つのか?」
文系離れが行き着く先

星:日本では一時期、「理系離れ」という言葉がありましたが、最近のアメリカでは、「文系離れ」が騒がれています。

 日本では、理系離れと文系離れ、どちらの状況に進んでいると思われますか?

出口:やはり、文系離れだと思います。

 「役に立つか立たないか」で学問を捉える人が増えてきていますね。

 典型的にいわれるのは「文学は一体何の役に立つのか」ということです。

 たまたま見た番組で、有名な古文の先生が「古文は何のために学ぶのか?」と問われたとき、とっさに返答できず、結局、「古文は受験科目にあるからやるんです」と答えていました。

 このように、日本では「教養」が評価されない。そこが大きな問題だと思います。

 特に、若い頃は教養を身につけ、豊かな感性を身につけることも大切です。

 そこの部分は理系ではなかなかできないと思います。

 特に、文系と理系とは言語の違いが大きいと思います。

 文系では「自然言語」を扱い、「お互いに人間は深いところでは理解し合えない」ということを前提に、それでも「なんとかコミュニケーションを取ろう」というところに「論理」があります。

 対して理系の「論理」というのは、自然言語ではなく、数式やコンピュータ言語、ある種の専門用語を使用します。

 これは、人間を排除した中で普遍的に成り立つ世界です。

 「文系離れ」によって、人間を排除した中で考えていく世界になってしまうことは、すごく怖いと思います。

 学問をするには、その前提として人間への深い洞察が不可欠です。そこは文系科目ですね。

星:本当にその通りだと思います。

 そして、理系の中にもやはり文系的な要素があると感じます。

 たとえば、同じ自然現象であっても、そこからどうやって意味を読み解くかによってその後の科学理論、そこから生まれるテクノロジーも変わってきます。

 物事から意味を見つけ出すのが人文学の重要な本質だと思います。

 そうした力がないと、新しいテクノロジーや新しいフレームワークに辿り着きません。