同じ日本語を話すからと言って
意味を理解しているとは限らない

 婉曲表現といえば、昔から京都が有名だ。「ぶぶ漬け、どうどす?」が「帰ってください」というのは(本当に現代でも使われているかどうかは別として)有名だし、その他の例としては「お子さん、元気でよろしおすなあ」は「うるさいから静かにしてほしい」だともいわれる。

 ただし、この表現のくみ取り方が必要だと知らない人にとっては、単なる誘いやたわいない雑談に聞こえるだろう。実際のところ、京都の人の言うこのような挨拶や雑談が、本当に嫌味なのかどうかはわからない。

 同じ日本語を話すからといって、人間関係やコミュニティーの中の文脈を踏まえないと、わからないコミュニケーションがあるということだ。

 そのように考えてみると、「ご遠慮ください」「お控えください」は、字面だけで見れば「遠慮しながらやればいい」「控えめにやればいい」とも受け取れなくもない。「遠慮」「控えめ」という言葉の持つ両義性のためだが、そもそも言っている方も直接的な表現を避けて婉曲な言い回しをしているので、伝わりづらいのはある意味で仕方がない。

 ただ、「ご遠慮ください」「お控えください」は、日本で長く暮らしていれば禁止とほぼ同義であると、どこかの瞬間で気づくことが多いだろう。しかし、いったん誤解して覚えてしまったものを改めるのは意外に難しいし、なんならその人の所属するコミュニティーでは違う意味で捉えられたままだったというようなケースもあり得るのかもしれない。