時には「失礼」になろう

 ここまでさんざん「失礼」を批判し、どうすれば減らせるかを念入りに提案してきました。最後の最後に言いたいのは、

「時には失礼になろう」

 ということ。「良薬は口に苦し」と言いますが、失礼には人間関係における「良薬」の一面があります。

書影:『失礼な一言』石原壮一郎著『失礼な一言』(新潮新書)

「失礼なことを言ってはいけない」
「失礼なことを言われたくない」

 そんな思いで頭をいっぱいにしていたら、他人に対して及び腰な接し方しかできなくなり、濃い人間関係なんて永遠に築けません。

 思い切って失礼な質問やキツめの冗談を繰り出したり、こっちも失礼なツッコミを受けたりすることで、相手との距離が縮まります。ムッとされることもあれば、小さく傷つくこともありますけど、ま、たいしたことではありません。

 人間は完璧ではないし、人間関係に見込み違いや勘違いは付きもの。些細な失礼に目を吊り上げたり、いつまでも根に持ったりすることこそが、相手と自分に対するいちばんの失礼です。お互いに多少の失礼は笑って許し合いましょう。悪意のある失礼や度を越した失礼に見舞われた場合は、また別ですけど。

 失礼を研究する最大の目的は、他人の失礼に寛大になるため。敬語の知識にしたって、あら探しではなく、心地よい人間関係を築くために活用してこそ真価を発揮します。

 失礼を研究する旅に終わりはありません。これからも、ともに模索し続けていきましょう。またどこかでお会いできる機会を楽しみにしつつ、ひとまず失礼いたします。