世界に多大な影響を与え、長年に渡って今なお読み継がれている古典的名著。そこには、現代の悩みや疑問にも通ずる、普遍的な答えが記されている。しかし、そのなかには非常に難解で、読破する前に挫折してしまうようなものも多い。そんな読者におすすめなのが『読破できない難解な本がわかる本』。難解な名著のエッセンスをわかりやすく解説されていると好評のロングセラーだ。本記事では、 マイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう』を解説する。
1980年代からロールズの『正議論』を中心に自由についての議論が行われていた。リーマン・ショック以降、貧富の格差問題などにより、さらに多くの人が政治哲学に注目するようになる。この政治哲学の議論を大別すると、リベラリズムとコミュニタリアニズムとなる。サンデルはロールズを批判して、後者のコミュニタリアニズムをとった──。
今を生き延びるための哲学
本書は、有名な哲学者ら、すなわちアリストテレス、ベンサム、ミル、ルソー、カントなどの思想内容を説明しているので、哲学史入門という意味でも役に立ちます。
しかし、単なる哲学史ではなくそれを通じて、今を生きる私たちの様々な問題を例にあげて、哲学がとても身近な学問であることが説明されています。
たとえば、「2004年にフロリダをハリケーン・チャーリーが襲った。それに便乗しガソリンスタンドでは一袋が通常2ドルの氷が10ドルで売られ、修理業者は屋根から2、3本の木を取り除くのに2万5千ドルを請求、宿屋の主人は宿泊料を4倍に引き上げた」というケースが引き合いに出されます。
本来、自由主義経済では需要が増えれば価格は急騰することになっているので、便乗値上げは自然なことなのかもしれません。
しかし、便乗値上げをした業者に対する人々の怒りは、サンデルによると「不正義」への怒りだといいます。
イギリスの功利主義者ベンサムは、「最大多数の最大幸福」を主張しました。また、リバタリアン(自由至上主義者)は、稼いだお金は本人のものなのだから、人からとやかく言われる筋合いはないと考えます。
ロールズは『正義論』において、恵まれない人が最も有利であるような条件のもとでの自由競争を認めました。
サンデルは、これらリベラリズムの思想を批判します。「配分」よりも「美徳」について考えなければならないというのです。
今まさにアリストテレス目的論の復活のとき!
よく考えてみると、人間は単に金が儲かって豊かになれば幸せというわけではありません。
サンデルは、社会は「美徳を養う」こと、つまり私たちがよりよい人間になるためにあると主張します。
これは、2400年前のギリシアの哲学者アリストテレスの考え方を、サンデルが受け継いでいるからです。
アリストテレスはものごとに「目的(テロス)」があると考えました。サンデルは、コミュニタリアンの立場から、共同体メンバーが共有する「共通善」(common good)としてとらえる必要があると考えました。
たとえば、これは『ハーバード白熱教室』でも取り上げられた例ですが、「最高の笛はどのような人間が使うべきか?」という問いがなされます。
普通は「最高の笛であっても誰もが平等にそれを使うべきだ」との平等主義的な答えをしてしまいそうです。
また、「最高の笛は上手な奏者が使うことで多くの人を楽しませることができる」と答えると「最大の効用」を生み出すという功利主義の答えになります。
サンデルの答えは、アリストテレスの「目的論」に基づくので以下のようになります。
「最高の笛は最上の笛吹きが手にする」。すなわち、笛の形相論的な目的論からすれば、笛は最高の奏者が吹き、その「美徳を実現するという目的」のために存在しているからです。
現代の資本主義に生きる私たちにとっては奇妙な説に思えるこの「目的論」によりサンデルは様々な角度からロールズのリベラリズムや「無知のヴェール」概念を批判します。
人間の自我のあり方を理解するには、その個人がどのような家族や地域共同体の中に置かれているのかがわからなければ、考えることができません。
また、正義の選択を行う自我は、生の正しい目的と、道徳をしっかりと会得していなければならないのです。
サンデルらコミュニタリアンの考え方は、ますます政治哲学へ多くの人々の心をひきつけました。アメリカ社会で哲学の重要性が再確認されたのです。
【訂正】記事初出時より以下のように修正いたしました。リード文にありました「本記事では、ハイデガーの『存在と時間』を解説する。」という文章が誤りのため、「本記事では、 マイケル・サンデル著『これからの「正義」の話をしよう』を解説する。」といたしました。読者の皆様にお詫びいたします。(23年5月31日18:15 書籍オンライン編集部)
富増章成(とます・あきなり)
河合塾やその他大手予備校で「日本史」「倫理」「現代社会」などを担当。
中央大学文学部哲学科卒業後、上智大学神学部に学ぶ。
歴史をはじめ、哲学や宗教などのわかりにくい部分を読者の実感に寄り添った、身近な視点で解きほぐすことで定評がある。
フジテレビ系列にて深夜放送された伝説的知的エンターテイメント番組『お厚いのが、お好き?』監修。
著書『21世紀を生きる現代人のための哲学入門2.0 現代人の抱えるモヤモヤ、もしも哲学者にディベートでぶつけたらどうなる?』(Gakken)、『日本史《伝説》になった100人』(王様文庫(三笠書房))、『図解でわかる! ニーチェの考え方』、『図解 世界一わかりやすい キリスト教』『誰でも簡単に幸せを感じる方法は アランの『幸福論』に書いてあった』(以上、KADOKAWA)、『超訳 哲学者図鑑』(かんき出版)、『オッサンになる人ならない人』(PHP研究所)、『哲学の小径―世界は謎に満ちている!』(講談社)、『空想哲学読本』(宝島社文庫)など多数。
【著者からのメッセージ】
私たちはなぜ本を読むのでしょうか。それは「本は人類が積み上げてきた叡智のアーカイヴだから」です。本は、人に知識や喜怒哀楽すべての豊かな経験を与えてくれる存在です。ときに読んだ人の人生を変えてしまう本だってあるでしょう。
この本で紹介しているのは、本のなかでも特に多くの人に読み継がれていたり、あるいは数千年という時を経ても今なお読まれている本、つまり「名著」です。
「名著」にはそう呼ばれるだけの理由があります。たとえば多くの人が今悩んでいることのほとんどは、この長い歴史上で誰かがすでに徹底的に考えていることです。紀元前という昔に遡っても、人間はやはり人間なのです。だから、もしあなたに悩みや、疑問に感じていることがあるなら、それらの答えのヒントはほぼ「名著」のなかにあるのです。
「目標がないし、やる気も出ない」「思考が乱れて集中できない」「健康なのに、なぜか疲れを感じる」「勉強したいが、どこから何をしたらいいのかわからない」「働いても働いても、楽にならないのはなんでだろう」「歳をとってきて、だんだん楽しみが減ってきた」
そんな悩みは、この本で紹介する「名著」のエッセンスを手に入れればたちまち解決するはずです。自分で思い悩むよりずっと気分が晴れること、請け合いです。
ところで、「名著」の多くは、とても難解で、それでいて分厚いものが多いです。しかし、名著が難解なのには、実は理由があります。分厚い古典的「名著」は、その時代背景と常識を前提として書かれているので、多くの場合、現代の私たちにとっては説明不足なのです。また、その学問世界の専門用語を「知ってるんでしょ?」という前提のもとに書かれていますから、こっちはわかるわけがない。
「名著」は、下手をすると一冊をしっかりと理解するのに20年以上かかります(それでも、さらに疑問は増えていきます)。普通に生きて普通に暮らしている私たちには、そんな時間はありません。つまり、「名著」とは基本的に「読破することができない本」なのです。
人生は短い。だからこそ「名著」をまず、おおざっぱに理解して、興味が出たら原典にあたればよいのです。この本では、古今東西の「名著」のうち哲学から心理学、経済学まで選りすぐった60冊のエッセンスをイラストとともにわかりやすく解説していきます。
※収録した60冊は、『ソクラテスの弁明』(プラトン)、『方法序説』(デカルト)、『実践理性批判』(カント)、『現象学の理念』(フッサール)、『歴史哲学講義』(フッサール)、『ツァラトゥストラはこう言った』(ニーチェ)、『存在と時間』(ハイデガー)、『存在と無』(サルトル)、『自由からの逃走』(フロム)、『社会契約論』(ルソー)、『資本論』(マルクス)、『論理哲学論考』(ウィトゲンシュタイン)、『グーテンベルクの銀河系』(マクルーハン)、『ポストモダンの条件』(リオタール)、『複製技術時代の芸術』(ベンヤミン)、『アンチ・オイディプス』(ドゥルーズ&ガタリ)、『21世紀の資本』(ピケティ)など。
もちろん原典と比べてその情報量は雲泥の差です(本書の場合、500ページ以上ある本も見開き4ページにまとめているのだから)。でも、なんにも読まないよりずっといいでしょう? そう思いませんか。分厚い本を一冊買って、読まないで部屋に飾っておくより、本書を電車の中で読んだほうがよいのではないでしょうか。
必ずしも時代順になっていないので、どこから読んでもOKです。パラッとめくって、全体を眺め、どんなふうに自分の役に立ちそうかを考えます。それぞれの本は、関連を他のページとリンクしてあります。つながりの意味については、本書の冒頭に収録した「ひと目でわかる名著の関連図」を参照してください。
ぜひ本書を活用して、自由な思考法を手に入れて、人生の難問解決をはかり、明日に向かって進んでください。きっと、すばらしい未来が広がっていくことでしょう。