もっと気楽に断れたらいいが、それを許さないと感じる空気

 嫌なら嫌と言っていいし、嫌と言われた側も、自分の人格まで全否定されたわけではないのだから、そこまで傷つく必要はない。もっとドライに考えていいはずのところを、同質性の高い集団である日本人はウエットに捉えてしまいがちなのかもしれない。

 日本人に多いといわれる「空気を読む」特質のために、ちょっとした依頼からさまざまな意図、思惑を読み取り、さらに自分の反応がどう捉えられるかという点に過剰に敏感になってしまう。その傾向はありそうだ。

 半々程度の確率で断る、断られることを前提として、お願いする方もそこまで期待していないし、お願いされる方も嫌なら気軽に断れる。そのようなコミュニケーションが確立すれば、これほど議論が紛糾することもないのではないだろうか。

 SNSのやり取りだと、どうしても自分たちの意見の方に理(ことわり)があるということを言いたいがために(また短い文字数での断言の方がシェアされることが多いために)、議論がとがったものになりがちだが、相手がなぜそう考えるのかの背景をたどれば、理解できるところは多いようにも思う。

 また、日本にもおそらく、このような議論を全く気にせずに「お願いして席かわってもらっちゃった、ラッキー」と気楽に生きているタイプの人もいるはずで、あれこれ考えてしまう筆者などにとっては、とてもうらやましい。

新幹線や飛行機の場合は……?

 これ以外の反応として見られたのが、新幹線や飛行機で席をかわってと言われた際のエピソードだ。

 新幹線や飛行機は、映画館と違って黙ってそこに座っているわけではないし、場合によっては半日近くそこに座っていることになる場合もある。さらに、並んで座る席を取れなければ別の日時で……とはいかないことも多い。

 たとえば3人並びの席で、真ん中の自分をまたいで会話されるぐらいなら席をかわった方がいいと思う人もいるだろう。しかし、窓際の席を選んで座っていたのにかわってほしいと言われたらどうだろう……というケースなどは悩んでしまう。

 このような場合でも、「かわりたくなければ交代しなくてもいい。それは不寛容でもなんでもない、自分の権利である」と思えればいいのであるが、ついつい考え込みがちだ。

 何か理由がなければ、断ってはいけないと思ってしまう。これは、多くの日本人が、他人の都合より自分の「お気持ち」を優先することに引け目を感じてしまうゆえなのかもしれない。