かわりたくない理由、かわってもいい理由

 このツイートを発端とする意見をいろいろと読んでいるうちに、どちらの意見にも一理あるなと筆者は思った。

 筆者が最初に思ったのは「自分は別にかわってあげてもいい」ということだった。

 ただし、その際に想定していたのは、広めの映画館で1席や2席ずれても特に見え方が変わらない場合で、さらに子どもを連れた家族に「かわって」と言われる場合のことをなんとなく想定していた。

 元のツイートはカップルであり、「大事なデートならちゃんと隣り合った2席分予約しておけよ」「2席分を予約できなかったら別の回でもいいのでは?」と思う人の気持ちもわかるし、そもそも暗い中で黙って見る、というだけの行為で隣り合って見なければいけない理由がわからない(観賞中にどうしても手をつないでいたいなら、それこそ隣り合った席を予約しておいてほしい)。

 これが幼児や小学生を連れた家族の場合、子どもが興奮して足をバタバタさせてしまったり飲み物をこぼしてしまったり、という不測の事態も起こり得るので、そばに座りたい保護者の気持ちはわかる。子どもが幼ければ幼いほど、映画館内とはいえ、暗い中で離れる不安はあるだろう。

 とはいえ、「譲りたくない派」からすれば、これも最初からちゃんと予約しておけばいいということになるだろう。

席をかわってあげないのは「不寛容」なのか

 また、自分は理由があってその席を選んでいるという人も中にはいる。

 なるべく他人が隣に座ってほしくないとか、トイレに行く頻度が高いためにわざわざ通路側を選ぶ人もいるだろうし、音響やスクリーンの見え方にこだわって席を選ぶ人も当然いる。もしも、「かわってほしい」と言われた席が、明らかに今の位置よりも悪い席だったら、それはさすがに失礼だろう。

 一方で、「それぐらい譲ってあげればいいのに」派に多いのは、「日本人の不寛容さ」「日本の生きづらさ」につなげる意見だ。

 海外の例を挙げて、そのぐらい普通にかわってあげる人が多いよ、というコメントも複数見られる。確かに、こだわりのない人はサッとかわってあげることに躊躇(ちゅうちょ)はないだろう。

 ただ、譲りたくない派からすれば、席にこだわりのない人がかわってあげることが「寛容」であり、譲りたくない人が「不寛容」と決めつけられるような風潮にはあらがいたい、というところなのだとも思う。席へのこだわりを理解しないのも、それはそれで「不寛容」ではないのか。

 ここで思うのは、日本人はもしかしたら「譲ってほしい」というお願いに、過度の強制力を読み取る人が多いのかもしれないということである。

 そもそも個人間のお願いで、強制ではないのだから、本来であれば「席をかわれない事情があるんですよ」「私は今回、そちらに座る気分ではないんですよ」といった回答でもいいはずだ。

 しかし、お願いされた瞬間にすでに「断ったら不親切で不寛容な人物と思われるかもしれない」と思ってしまうし、断ることに罪悪感を覚えてしまいがちだ。その罪悪感が反転して、強めの主張につながるのではないか。