なぜアフリカの動画に需要が高かったのか

 なぜ、この動画を見て「面白い」と感じる人がいるか。

 それは、異文化の人が日本語を使ったりして日本人を祝っているのがシュールだからだろう。そして、日本から離れた国であればあるほどシュールであるから、アフリカの動画に「需要」が高かったのだろう。

 世界経済の中で先進国が発展途上国を搾取してしまう構造は存在し、だからこそ近年では経済的に不利な状況にある国に対しても、対等な対価を支払うフェアトレードの取り組みが盛んになっている。

 このような構造を鑑みれば、問題意識の高い人にとってこういった動画自体が「搾取」に見え、偏見を助長しかねないといった懸念を持つだろう。

 日本では外国人は家を借りづらかったり、特に黒人の場合は職務質問にあいやすいといったレイシャル・プロファイリング(人種や国、民族などを理由に捜査の対象にすること)の問題もある。これは「見慣れない」外国人に対する違和感から来る偏見によるものだ。サプライズ動画は違和感を利用して面白さを誘っており、批判する人たちはその点に危機感を持つのではないか。
 
 もしこれが、アメリカやイギリスの人々が登場するサプライズ動画であれば、差別的とは言われづらかった代わりに話題にもなりづらい。それはなぜだろう。驚きが少ないのは、それらの国の人をアフリカの人よりも身近に感じているからではないか。

 自分がそれを「面白い」「シュールだ」と感じるときに、なぜそう感じるのか、そこには偏見や固定観念がないかを考えてみるのは必要なことだと思う。もちろん自分が面白いと思うものを批判されるのは不快だろうが、社会の中で考え続けなければならない問題であるのは間違いない。