投打に粘りがなく
早大ファンが“自虐節”
試合時間、2時間37分。「なんだ、案外早く終わったな。あれだけ打たれて、あれだけフォアボールを出したのに」という早稲田のオールドファンの自虐節が風に乗ってくるのもライブ観戦ならでは。「なあに、ウチ(早稲田)の攻撃があっさり終わるからさ」。御仁の会話どおり、この日の早稲田には投打に粘りが感じられなかった。
立教戦などで粘りを見せた打線が、この日はしぶとさを失っていた。追い込まれてからもファウルで粘って四球を選ぶシーンも少なかった。
それでも、ライブでの観戦に没入していたからだろうか。試合終了のサイレンを耳にしたとき、私は四半世紀前の光景を思い出した。
大学時代、私はアメリカンフットボールに打ち込んでいた。2年生の時には、春のオープン戦に出場した。だが自チームは100点取られてのボロ負け。アメフトでの100点は野球では20点くらいだろうか。アメフトゲームには時間の縛りがあるし、めったに取られる点数ではない。試合後、うなだれる私たち選手に向かって、あるOBは静かに語ったのである。
「点差が開いた時点で『もう勝てない』と思った選手が何人かいる。100点取られたのは、1人の諦めがチーム全体に伝播(でんぱ)した結果だ。君らは、なんのために苦しい練習を重ねてきたんだ。自分の胸に聞いてみろ」
OBの言葉は私の胸に突き刺さった。まさにそうだった。私のことだと思った。早く試合を終えたい。これ以上がんばっても意味はない。そう思いながらプレーをしていた。そんな人間にフィールドに立つ資格などありはしない――そう猛省したのだった。
早慶2回戦で大敗した早稲田の面々が、あの頃の私と同じ心境だったとは思わない。しかし1回戦に勝った早稲田は、2回戦を落としても3回戦に勝てば勝ち点を取れる。そんな気持ちが選手たちの胸になかったか――そう勘繰りたくなってしまう。結果的に、粘りのない内容となってしまった。そしてそのことで、神宮に集った2万3000人の早慶ファンをがっかりさせたのだと思う。