稲盛和夫Photo:AFP=JIJI

「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏でさえも、商売人や経営者として「軽蔑にも近いような扱いを受けていることを今でも感じる」「社会的地位の低さを痛感している」という言葉を残している。その状況を好転させようと腐心した稲盛氏が訴えたことをお伝えしたい。(イトモス研究所所長 小倉健一)

経営の神様・稲盛和夫氏も痛感
「商売人は下」の差別意識

「士農工商」といえば、江戸時代の階級制度を指す言葉だと習った人は多いだろう。しかし、今では歴史の教科書から消えてしまったそうだ。詳細は後述するが、本来は士農工商の間に上下はなく、横並びの関係を表す言葉だった。それが江戸時代後期から明治時代にかけて、上下関係の意味を持って語られるようになったという。

 士農工商を今の日本の職業に言い換えれば、政治家、農家、工業(分野に従事する人)、商人(ビジネスパーソン)といったところか。武士が偉くて、商人は一番身分が低い。こうした認識が100年以上にもわたって続いてきた。

「経営の神様」と呼ばれた稲盛和夫氏も、それを感じていた一人であった。そんな歴史から、現代の日本でも政治家は偉くて、ビジネスパーソンは一段下のように見られているのかもしれない。

「『商売人だから……』とか、『経営者は利益を追求することが目的だから……』と、軽蔑にも近いような扱いを受けていることを、われわれ経営者たちは今でも有形無形に感じ、社会的地位の低さを痛感しているのです。このため、株式会社には子弟の育成を図る学校教育や、仁術を施すべき病院経営は任せられないという偏見が、構造改革特区をめぐる昨今の議論にも大きな影響を与えているのです」(稲盛和夫著『リーダーのあるべき姿』。以下、本稿の稲盛氏の言葉は、特に記す場合を除き、本書からの引用)

 あれだけ「利他」を唱え続けてきた稲盛氏ですら嘆く、この日本という権威主義の強い国家と、それに稲盛氏がいかにあらがったかについて今回は述べたい。