母親は沈黙です。食卓を挟んで、父と息子はしばらく睨み合っていました。ようやく「対決」が成立した瞬間でした。ケンカ上等です。

 ただし、この場合のケンカは、感情をぶつけて罵り合うことではありません。自分が何に怒っているのかを伝えること。「わかってほしい」と伝えることなのです。

 男性は、息を荒くして、泣きながら、ずっと呑み込んできた思いを言葉にしました。

 父親は黙って聞いていました。母親も泣いていました。40年を経て、ようやく父に伝えることができたのです。

 帰り道、車を運転しながら、震えと涙が止まらなかったといいます。と同時に「あんなに怖かった父親が、ただの老人に見えた」とも。

 そして、こう付け足しました――「伝えなければ、始まらないのですね。ようやく何かが変わる気がします」

我流で怒るのではなく
技を使って解決する

 怒りを返すとは、怒りも含めて、思いを伝えることです。理解を求めること。

「私は、ずっと怒りを感じてきた。まだ消えていない」――そんな人が始めるべきは、怒りの原因を2つに分けることです。「私は何に怒っている?」「いつから怒りが湧いた?」「あの人・あの出来事からだ――この怒りの原因は、あの人か」

 そう思えたら、「これは、相手に返すもの――理解を求めるべきではないか?」と考えるのです。

 相手発の怒りは、相手に返す――具体的には、次の3つについて、理解を求めることになります。

(1)何があったか【事実】――こんなことがあった。こんなことを言われた。覚えていますか。その事実をわかってもらいたいのです。と伝えたい出来事を言葉にします。

(2)何を感じたか【感情】――苦しかった。腹が立った。悲しかった。このままでは納得いかない。と素直な気持ちを言葉にします。

(3)どうしたいか【希望】――私はこうしたいと思っている。こうしてもらいたい。こうしてくれたら、嬉しい・ありがたい。と願いを言葉にします。

 つまり、事実と感情と願いです。この3つを目安にして「私は何を伝えればいいのだろう?」(何をわかってもらえたら、納得するのだろう?)と考えていくのです。

「伝えるなんて、とんでもない。伝わる相手じゃない」
「相手がどう出てくるか、わからない。そんな怖いこと、とてもできない」

 そうした気持ちも、ここからフォローしていきます。

 ただ、この“返す”という発想は、直接相手に伝えなくても、自分の気持ちを整理するうえで、大事な意味を持ちます。イライラ、モヤモヤした感情を、技を使って整理することで、自分が何に、誰に、なぜ怒っているのかが、見えてくるのです。

 思いが見えたら、さらに先へと進めます。すなわち、怒りを相手に“返す”(伝える)のか、くやしさをバネに“活かす”のか、自分の中で“流す”(忘れる)のか、選べるようになるのです。こうした技の数々を、ここから手に入れていきます。

 覚えておいてほしいのは、「我流で怒るだけでは、ダメなんだ(足りない)」ということです。我流とは、過去の自分のパターンです。ぐっと怒りを呑み込んだり、逆にカッとなってぶつけてしまったり、相手に圧されて言いなりになってしまったり、憂さを晴らしてごまかしたり―このままでは、怒りが積もってゆくばかりです。

 我流ではなく、ちゃんと技を使うこと。過去の怒りも、今まさに関わっている“あの人”への不満も、理不尽な社会への憤りも、すべて技を使って解決していくのです。

 ともあれ、腹が立ったら、理解を求める――そう発想を切り替えてください。あれこれ悩んでモヤモヤする手間を省けます。

 もっとも、理解を求めることは、面倒なものです。相手がどう出てくるか、わからないし、いざ話をすることは、時間も体力も精神力も、時にお金もかかります。

 だから“返す”ことは、なるべく最後に回しましょう。まずは、自分の側でできる、比較的簡単な技から磨いていきましょう。なるべくかわす、流す、活かす――。

 怒りは、思い悩むものではありません。技を使えばいいのです。 怒れる人から、正しく怒(おこ)れる人へ――その道を歩み始めましょう。