もちろんこの命題がこのまま受け入れられるべきだと言うつもりはない。この命題は大雑把すぎるのでもう少し具体的になったほうがよいという議論がある。また、この命題には倫理的な観点から制約が必要になるだろう。なぜなら、より多くの人の命を救うためなら何でもしてよいというわけではないからである。しかし「反証が提示されない限り、より多くの人の命を救うことは正しい行為である」という命題を議論の出発点とすることに異論はないだろう。

パンデミック対策に
倫理指針が必要な理由

 新型インフルエンザや新型コロナウイルスなどの感染症パンデミック(世界的流行)に対処する際、なぜ倫理指針が必要なのだろうか?そしてなぜ倫理指針を前もって考えておく必要があるのだろうか?まずはこの疑問に答えることから始めたい。

 パンデミックが倫理指針を必要とするのには、主に2つの具体的な理由がある。

 第1の理由は、医療資源の供給を大きく超える需要が短期間に発生し、医療資源の「選択的分配」が不可避になるからである。通常の状況ならすべての罹患者に十分な医療サービスを提供することが可能な体制でも、短期間の間に医療サービスへの需要が急増すると、通常の医療資源の供給では追いつかなくなる。

 市場原理によって医療資源を配分するなら、誰かが医療資源を選択的に分配する必要はない。しかし、現実には多くの国で医療資源は市場メカニズムによって配分されていないし、医療資源の市場メカニズムによる配分に反対すべき理由がいくつも存在する。

 例えば、供給に対して需要が大きく超過すると医療サービスの価格が高騰し、富裕な人だけが医療サービスを受けられ、貧困層はサービスを受けられないという状況が発生する。このような状況は倫理的に許容されるものではない。つまり市場原理を通じて医療資源を分配することに反対する倫理的理由が存在するのである。

 では、どうすればよいのか。パンデミック期には医療資源に対する需要は供給を大きく上回ることが予想されるので、医療サービスを受けられる人と受けられない人が出てくる事態が発生するかもしれない。

 誰が医療サービスを受けられ、誰が医療サービスを受けられないかをどうやって判断すればいいのか、そしてそのような判断の根拠となるルールとは何だろうか?この問いは究極的には誰が死に誰が生きるかの選択にも通じる。明らかに倫理的問題である。